大きくなるのはわかっても、親は自分たちの年を取るのはサッパリわからんもんだのう」
と笑い話になってしまいました。が、
「棚田のお母さんもさぞお喜びでしょうな?」
と聞くと、
「おや、お前はまだ知らんかったかな? あの人はもう大分前亡くなってしもうたが。おいおい、あれはいつ頃だったかいな? 棚田のお母さんの亡くなったのは」
と父は母に記憶を求めているのです。その時初めてこのお母さんも他界していることを知ったことでしたが、父親の死が変死でなかったように、この母親の死もまた何の不思議もなかったように覚えていました。
その頃に一度私は大村へ行ってみたことがあるのです。と言っても、わざわざ出かけて行ったのではありません。ちょうど長崎医大で開かれた学会へ出席したついでに、長崎からは眼と鼻の先ですから、足を伸ばして大村まで行ってみたことがあるのです。
駅前の讃岐《さぬき》屋という旅館へ鞄《かばん》を預けて、昔私が通っていた小学校や、その学校の前から街道続きで、昔の藩主の城跡や、仲間とよく遊んだ老松の海風に哮《ほ》えているお城下の海岸や、私の家が住んでいた上小路の旧宅なぞへ道を辿《たど》って
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