した幼時の思い出の数々を私は持っています。が、村の小学校の四年生の時、父が東京の本省へ転勤になったために、この草深い田舎の生活を棄てて私は東京へ出て来ました。その後二年ばかりもたつと私はさらに父の転任につれて長野へ行き、前橋へ行き、浦和へ行き、この浦和で祖母は七十六歳の高齢で世を去ってしまいました。もちろん大村を離れて以来、口へ出してどうのこうのと、棚田のうわさを言ってたわけではありません。が、恐怖は身に沁《し》みていたとみえて、大村を立ち去ったことを――というよりも上小路の家を立ち去ったことを、しみじみ喜んでいる風に見えました。
「そんなことをいうと、お前はまたお祖母さんをバカにするかもしれないがね。あの時分は夜が明けても、ほんとうに何だか鬱陶《うっとう》しい厭《いや》な気持がしてね、気のせいかもしれないけれど誰の顔を見ても何だかこう……気のめいりそうな憑《つ》きものでもしたような顔をして朝から日暮れ方みたいな気がしたよ」
と心から吻《ほ》っとしたように、祖母はザブリザブリと湯槽《ゆおけ》の中で顔を洗いながら念仏を唱えています。
さて、私が絶えて久しい棚田の晃一郎氏に逢《あ》った
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