棚田裁判長の怪死
橘外男

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)田圃《たんぼ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)昔|裃《かみしも》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#ローマ数字2、1−13−22]
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      一 家老屋敷

 その不可解な死を遂げた判事の棚田晃一郎氏だけは子供の時分からよく知っています。私とは七つ八つくらいも年が違っていたかも知れませんから、学校や遊び友達が一緒だったというのではありませんが、棚田の家は広い田圃《たんぼ》を距《へだ》てて私の家とちょうど向合いになっていました。私の父はその頃この小さな町の農事試験場の技師をして、官舎に住んでいましたが、田圃を距てた埃《ほこり》っぽい昔の街道の向う側に城のように巍然《ぎぜん》たる石垣や土手をつらねているのが棚田の家だったのです。
 もともと棚田の家は、この町の旧藩の城代家老《じょうだいがろう》の家柄といわれているだけに、手狭な私の家とは違って敷地も広ければ、屋敷もあたりを圧して宏壮《こうそう》を極め、昼でも暗い鬱蒼《うっそう》たる竹藪《たけやぶ》に沿うて石礫《いしころ》だらけの坂道を登って行くと、石垣を畳んだ大きな土手の上には黄楊《つげ》の垣根が竹藪と並行に小一町ばかりも続いているのです。そして広々とした石段の向うに、どっしりした冠木門《かぶきもん》がそびえています。苔《こけ》の生えた御影石《みかげいし》の敷き石の両側に恰好《かっこう》のいいどうだんを植えて、式台のついた古風な武家づくりの玄関といい、横手に据えられた天水桶《てんすいおけ》代りの青銅の鉢といい、見上げるような屋の棟や、その甍《いらか》の上に蔽《おお》いかぶさった深い杉の森といい、昔|裃《かみしも》を着けた御先祖が奥方や腰元や若党たちに見送られて供回り美々《びび》しく登城する姿なぞもそぞろに偲《しの》ばれましたが、それだけに腰元もいなければ供回り若党も一切なく、母親と女中と下男《げなん》夫婦と、いつ行って見てもひっそりと静まり返っている小人数の棚田家というものは、何か大家の没落したような一種の侘《わび》しさを子供にも伝えずにはいませんでした。
 しかも淋《さび》しい感じを与えたのは、何もそんな大きな屋敷や、古い石垣のせいばかりではありません。子供心にも何ともいえず薄気味悪かったのは、祖母からしょっちゅう聞かされた棚田の先祖の話だったのです。
 棚田の家の裏手に大きな杉の森がそびえていることは、今も言ったようなわけでしたが、この森の中には、昔から土蔵がいくつか飛び飛びに並んで、奥庭の築山《つきやま》の裏手には、真っ青な水の澱《よど》んだ広々とした沼があって――それも一個人所有の池とも思えぬくらい広々とした沼があって、その涯《はて》は一面の雑木林が野原の中へ溶け入っているのです。この野原へ出ると、芒《すすき》や茅《かや》の戦《そよ》いでいる野路の向うに、明神《みょうじん》ヶ|岳《だけ》とか、大内山《おおうちやま》という島原半島の山々が紫色に霞《かす》んで、中腹の草原でも焼き払ってるのでしょうか、赤い火がチリチリと煙《けぶ》っているのが夏の夕方なぞよく眺《なが》められました。祖母の言うのには、棚田さんへ遊びに行っても、裏の杉の森や、池の近くへはどんなことがあっても行ってはいけないよ。あすこには昔仕置き場があって、殺された人の怨霊《おんりょう》が迷ってるから、幽霊が出るんだよ、と何度やかましく注意されたかわからないのです。祖母の言うのには、棚田の何代目かの先祖に――確か四代目とかいったようでしたが、癇癖《かんぺき》の強い、とても残忍な性質の家老があって、人を殺すことなぞ、虫ケラ一匹ひねり潰《つぶ》すほどにも感じてはいなかったというのです。奥方は早くに亡くなって、お気に入りの美しい腰元が身の回りの面倒を見ていましたが、この腰元さえも、自分のいうことを聞かないといって、責めて責め抜いた挙句の果てに、手討ちにしてしまったというのです。
 今でも私が覚えているのは祖母の話を聞きながら、どうしても子供の私の腑《ふ》に落ちなかったのは、なぜこの腰元を手討ちにしてしまったかということでした。高が自分の言うことを聞かないくらいのことで殺してしまわなくてもいいじゃないか! と不満に思わずにはいられなかったのでしたが、大人になるに従って祖母が細かく説明し得なかった、その辺の事情も、ハハア、なるほどな! と飲み込めるようになってきました。幼い私に聞かせるのは憚《はばか》って、祖母が言葉を濁していた、そのお手討ちというのも横恋慕を聞かれなかった家老の嫉妬《しっと》心から
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