帰っておしまいになったかと、思うておりました。こんなことになって、まったく、驚いておりますと、市内西大村片貝二四五番地成瀬半次郎さん(六十五)は、語っている。
要するに、両氏の死の真因は、原因と目さるべきもの何にもなく、前記船頭の言葉から推して、十八日の夜船頭を帰した後の、月明を楽しみつつ無人の孤島の寂寥《せきりょう》のうち、芸術家|気質《かたぎ》の繊弱な神経の持ち主の棚田判事が突然に精神に異状を来《きた》して、来国光《らいくにみつ》を振るって斬《き》りつけたために、已《や》むなく井沢判事も防禦《ぼうぎょ》の挙に出《い》で、両者不幸なる最期を遂げたものではないかと、判断するより仕方がない。そしてまたそう考えるほかには、何と解釈の下しようもないと、取調べの検察当局も、まったく匙《さじ》を投げている」
私の引用する新聞記事は、これで終りですが、もちろんこの記事の中にも、腑《ふ》に落ちかねるものが、沢山見受けられます。孤島の寂寥が、作曲をするような繊弱な、芸術家のセンスを狂わせたのではないか? と、新聞は述べていますが、どんな神経の持ち主たりとて、たった一晩ぐらいの寂寥さで、発狂するとは考えられないことです。しかもいわんや、家を出る時すでに、秘蔵の名刀を携えている以上、何げなく談笑している肚《はら》の底では、両判事ともひそかに死に場所を、大村湾中の臼島と定めていたことは、もはや明白なる事実ではないかと、思われます。殺し合う意志がなく、何で二本の刀を、持ち出す必要がありましょう。
ですから、ここに至ってはもはや、今日の文明や科学の力をもっては、到底解決のつくものではないのです。まことに非科学的な言い分ですが、祖先伝来の因縁とか、家を呪《のろ》っている怨霊《おんりょう》の一念とか……今の学問では割り切れぬ、何か理外の理といったようなもののために、ことここに至ったものであろうというほかには、何と解釈の下しようもないものであろうと、私は考えているのです。
以上の理由が、私が幼年時代からの記憶を辿《たど》って、棚田判事に対する思い出を書き綴《つづ》ってきた次第に、ほかならないのです。今の世の中に、そんなバカなことが! とお笑いになることなく、私の意のあるところを諒解《りょうかい》して下さるならば、幸い、これに過ぎません。
しかもいわんや、私のこの考えを裏書きするごとくに、……怨霊の祟《たた》りが、祖先から伝わる因縁の然《しか》らしめるところであろうと、判断しているこの私の考えを裏付けるごとくに、本年一月十九日、事件も落着して棚田夫人光子、小女《こおんな》、私が逢《あ》った下男《げなん》の老爺《ろうや》夫婦たち一同が、揃《そろ》って市内|畦倉《あぜくら》町の菩提寺《ぼだいじ》、厳浄寺で墓前の祭りを営んでいる最中に、無人の屋敷より原因不明の怪火を発し、由緒ある百八十年の建物は、白昼ことごとく燃え落ちてしまいました。そして、どこから出たものか、余燼《よじん》の煙《けぶ》る焼け跡から、二百年前の婦人の遺骨と確定せられるものが、一体発見せられたということを耳にして以来、なおさら私は、自分のこの確信を深めずには、いられなかったのです。
その遺骨が殺された腰元のお高であったかどうかは、読者各位の御判断にお任せするとして、今の私の関心は、かかってリーゼンシュトック教授一人に、あるのです。教授は今|亜米利加《アメリカ》各地を旅行していられますが、日本へ帰られたならば早速教授に逢《あ》って、昭和二十五年の四月、すなわち今から二年と一カ月前に、なぜこの作曲が大変なものであると言われたのか、そしてこの作者は、もう長くは生きないであろうと、言われたのか? この老ピアニストの霊力に訴えたものを、今度こそ仔細《しさい》に、聞き質《ただ》してみたいと思っているのです。
底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・心霊篇」中央書院
1996(平成8)年6月10日第1刷発行
初出:「オール読物」
1953(昭和28)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※図版は、松野一夫による初出誌のものを模して、かきおこしました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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