だったのでしょう。が、子供にとって事実の真相なぞはどうでもよろしいことだったのです。皺《しわ》だらけの白髪の祖母が思い入れよろしくあって……こう細い手を伸ばして責め折檻《せっかん》する時の顔の怖さといったらありません。叫ばんばかりの気持で、私は祖母の袂《たもと》を掴《つか》んでいましたが、ともかくその何代目かの主人の勘気に触れて、美しい腰元は責め殺されてしまいました。しかも責め殺したことが世間へ洩《も》れるのを憚って、家老は女の実家から何度問い合せがあるにもかかわらず、どうしても事の真相を明かしません。お家の法度《はっと》を破って男を拵《こしら》えて、逐電《ちくでん》した不届き至極な奴め、眼に入り次第成敗いたしてくれん! と猛《たけ》りたつようなことばかり並べたてて、表面を繕《つくろ》っていました。武家には頭の上がらぬ昔のこと、娘のそういう不都合な所為のあるはずもない、これには何か深い事情があることと思っても、並ぶものない権力者の御家老に向って、そういうことの面と言えるはずもなし、女の家では泣き寝入りをしてしまいましたが、どうしても[#「どうしても」は底本では「とうしても」]諦《あきら》めることのできなかったのは、その腰元の許嫁《いいなずけ》だったのです。この許嫁は、子供の頃から寺へやられて出家していましたが、この坊さんだけは真相を聞かぬ限り何としても、自分の許嫁の失踪《しっそう》には諦めがつかなかったのです。逐電したならしたで、どうかその顛末《てんまつ》を聞かせて欲しい、とたびたび棚田の屋敷へ足を運んで来ましたが、もちろん当主が逢《あ》おうはずもありません。いい加減なことばかり並べたてて追っ払っていました。が、この残忍な、我儘《わがまま》な家老の評判はあちらこちらに響き渡っていましたから、ハハア! と僧にも頷《うなず》けるものがあったかも知れません。が、確かに許嫁は殺されているとは思っても、実否もわからないことですし、無念を晴らしてやりたいとは思っても、相手は殿様を除いては土地随一の威権|赫々《かっかく》たる御家老では力のない僧侶の身には手も足も出るものではありません。
思い余ってある時、この坊さんは、秘蔵の一管の尺八を携えて、家老の屋敷へ忍び入って来たことがありました。家老はちょうど御殿へ出仕して留守でしたが、少し頭のおかしくなった坊さんは、池の岸によろよろと
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