のは、何もそんな大きな屋敷や、古い石垣のせいばかりではありません。子供心にも何ともいえず薄気味悪かったのは、祖母からしょっちゅう聞かされた棚田の先祖の話だったのです。
 棚田の家の裏手に大きな杉の森がそびえていることは、今も言ったようなわけでしたが、この森の中には、昔から土蔵がいくつか飛び飛びに並んで、奥庭の築山《つきやま》の裏手には、真っ青な水の澱《よど》んだ広々とした沼があって――それも一個人所有の池とも思えぬくらい広々とした沼があって、その涯《はて》は一面の雑木林が野原の中へ溶け入っているのです。この野原へ出ると、芒《すすき》や茅《かや》の戦《そよ》いでいる野路の向うに、明神《みょうじん》ヶ|岳《だけ》とか、大内山《おおうちやま》という島原半島の山々が紫色に霞《かす》んで、中腹の草原でも焼き払ってるのでしょうか、赤い火がチリチリと煙《けぶ》っているのが夏の夕方なぞよく眺《なが》められました。祖母の言うのには、棚田さんへ遊びに行っても、裏の杉の森や、池の近くへはどんなことがあっても行ってはいけないよ。あすこには昔仕置き場があって、殺された人の怨霊《おんりょう》が迷ってるから、幽霊が出るんだよ、と何度やかましく注意されたかわからないのです。祖母の言うのには、棚田の何代目かの先祖に――確か四代目とかいったようでしたが、癇癖《かんぺき》の強い、とても残忍な性質の家老があって、人を殺すことなぞ、虫ケラ一匹ひねり潰《つぶ》すほどにも感じてはいなかったというのです。奥方は早くに亡くなって、お気に入りの美しい腰元が身の回りの面倒を見ていましたが、この腰元さえも、自分のいうことを聞かないといって、責めて責め抜いた挙句の果てに、手討ちにしてしまったというのです。
 今でも私が覚えているのは祖母の話を聞きながら、どうしても子供の私の腑《ふ》に落ちなかったのは、なぜこの腰元を手討ちにしてしまったかということでした。高が自分の言うことを聞かないくらいのことで殺してしまわなくてもいいじゃないか! と不満に思わずにはいられなかったのでしたが、大人になるに従って祖母が細かく説明し得なかった、その辺の事情も、ハハア、なるほどな! と飲み込めるようになってきました。幼い私に聞かせるのは憚《はばか》って、祖母が言葉を濁していた、そのお手討ちというのも横恋慕を聞かれなかった家老の嫉妬《しっと》心から
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