みたのです。何年ぶりで思い出の地をそぞろ歩いたことだったでしょうか? 見るもの聞くもの懐かしからざるはありませんが、同時に一木一草のたたずまいにも、昔と何の異なるところもないのを見ると、こんな狭い土地でよく幼年時代を過ごしたものだと、久しぶりに東京から行った眼には鼻につかえそうなくらい、すべてが鄙《ひな》びて狭《せせ》っこましいのにも呆《あき》れ返らずにいられなかったのです。
ともかく、懐かしさと幻滅の半ばした気持で、私は犬に吠《ほ》えられながら、昔住んでいた家の回りに佇《たたず》んでいましたが、ふと眼を放った向うの坂上に、昔ながらの石垣の上に、厳然と城廓《じょうかく》のようにそびえ立っている、棚田の家を見ると、そこへも足を伸ばして、昔を懐かしんでみたいような衝動を禁じ得ませんでした。誰も亡《ほろ》びたわけではありませんが、私のその時の気持は人亡びて山河依然たり、といったような感慨で一杯だったかも知れません。これも昔と少しも変らぬ竹藪《たけやぶ》の道を登って行くと、私は棚田の門前を通り過ぎて、沼や野原のあたりまで行ってみました。
うねうねと曲りくねった野道一杯に芒《すすき》や茅《かや》が掩《おお》い乱れて、葉末の彼方《かなた》に島原半島の明神《みょうじん》ヶ|岳《だけ》や大内山《おおうちやま》が顔を現していることも、何の変りもありませんでしたが、この辺、人が住んでいるのやらいないのやら! しいんと身に沁《し》みてその淋《さび》しいこと! よくもこんな淋しいところに、棚田の家では長年住んで……昔祖母が恐ろしがったのも無理はないな! と、何か鬼気の迫るようなものを感じて、またその通りを戻って来ました。
再び通る棚田の冠木門《かぶきもん》には、もちろん今ではその人の名前が出ていることと思いのほか、ヒョイと見上げた眼に相変らず棚田晃一郎と表札が出ているのです。
「ほう、まだ売りもしないで持っているのかしら?」
と見上げた私を不思議そうに六十絡みの老爺《ろうや》がその落葉を掃きながら眺《なが》めていました。
「このお宅はやはり棚田さんの持ち家でしょうか?」
と、何ということもなく、私はそこに佇《たたず》んで、その老爺と問答を交わしてみたくなったのです。
「……そうでがすよ……」
「大阪にいられる棚田さんの……」
「旦那《だんな》様は大阪じゃねえでがす、名古屋にいられ
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