視覚も失われていたのであろう。あらぬ方へ向ってフラフラと踏み出した、その刹那《せつな》の顔であった。
 思わず私は、眼を閉じた。しかしそれも瞬間! 倒れてパッと上から蒲団が被《かぶ》せられたと見ると、怖いもの見たさで一遍崩れ立った人垣はまた犇《ひ》し犇しと廻りへ取り囲んで行った。方々から啜り泣きの声が一層烈しく湧き起った。
「あねえになっても、やっぱり妹さんの事が気に懸《か》かると見える。なむあみだぶ! なむあみだぶ! お内儀《かみ》さん、案じることはねえだぞい! お前《めえ》さんの一念だけでも妹さんはきっと助かるぞい! なむあみだぶ! なむあみだぶ!」
 と口の中で唱名《しょうみょう》を称えているお婆さんもあった。
 私はその夜着いたばっかりで、妙な抑揚のある土地の言葉に馴染《なじ》みがなく、人々の叫ぶ言葉の意味がよくわからなかったが、おそらく医者や病院の名を口々に呼んでいたのであろうと思われる。振り翳《かざ》される提灯《ちょうちん》の灯がますます殖えて、巡査や医者も駈けつけて来たらしく、人出と喧騒は刻一刻とその度を増してきた。懐手《ふところで》をしていた私の手に、突然袖口から金氷の
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