っていた君太郎が、重そうな丸髷《まるまげ》の下から、パッチリと眸《め》を開いた。これもさっきから表の騒がしさに眼が醒《さ》めていたらしい。
「火事だっていうと、こんなところへ来てまで飛び出すのねえ。方角も知らずにいて、迷子にでもなったらどうするの?」
 と微笑《ほほえ》んだが、
「そんな恰好をして、風邪でも引かないように気をつけて頂戴!」
 と夜具の襟《えり》に頬を埋めて眩《まぶ》しそうに薄眼をしながら言った。
 そのうちに、宿屋の者も起き出たらしい。ガラガラと大戸の開く音がしたが、途端に、
「あらあら、大変だ! 大変だ! どうしましょう、番頭さん! 早く来て下さいよう! 早くさあ!」
 と、涙ぐんだ甲高い女の叫びがした。
 私は、大急ぎで階段を駈け降りて、有合《ありあわ》せの下駄を突っ掛けたが、一足躍り出した途端に思わず固唾《かたず》を呑んで、釘付けになった。
 街路の上、人の腰の高さほども雪は踏み固められて、そこが冬中の通路となって、カチカチに凍りついていた。そして家々の軒の脇には、屋根までも届くくらい、掃き寄せられた雪や吹き溜りの雪が小山のように賑やかに林立していた。その高い通路の上を今、こけつ転《まろ》びつ、小山の陰になって、見えつ隠れつ、全身|生《いき》不動のように紅蓮《ぐれん》の焔を上げた三人の男女が、追いつ逐《お》われつ狂気のようになって、走り狂っているのであった。
 そして廻りを囲んだ人々は、火を揉《も》み消そうとして、家から担《かつ》いできた蒲団を往来に投げ出すやら、座蒲団を持ってこの三人を追い駈けるやら、必死になって口々に何か呶鳴《どな》り合っているところであった。
 しかも焔に包まれた三人が雪崩《なだれ》を打って転がり込んで来る向う側の店々では、家に火の付くのを恐れて慌《あわ》てて戸を閉め出すやら、未だかつて私は、生れてこれほどの凄《すさま》じい光景を見たことがなかった。夜眼《よめ》にも仄《ほの》白い雪の街路を転がり廻っているこの紅蓮の焔の周囲を遠巻きにして、黒い人影は右往左往にただ混乱し切っていた。
 幸いに、私の佇《たたず》んでいたところからは家数にして五、六軒ばかりも離れていたから、こちら側へ転がって来る危険はなかったが、私の側に震えている女たちは、生きた心地もなく身|悶《もだ》えしながら、
「早く、どうにかして! あ、早く消して上げて!
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