わけではなかったから。そんな余計な穿鑿《せんさく》なぞはどうでもいいが、ともかく私たちが留萌の港に着いたのは夕方の五時頃ではなかったかと思われる。北海道の原野はもう蒼茫《そうぼう》と暮れ果てて雪もよいの空は暗澹《あんたん》として低く垂れ下っていた。
そして町は停車場前の広場から両側の堆《うずたか》く掃き寄せられた雪の吹き溜りの陰にチラチラと灯を覗《のぞ》かせていたが、私たちはもちろんこんな淋しい港町なぞに一人の知り人があったわけでもない。灯を翳《かざ》して迎えに出ている番頭に連れられるまま、駅前の丸源という三階建のこの辺としてはかなりの宿屋に案内せられた。
ともかくひと風呂暖まって、丹前に寛《くつろ》ぎながら、夕餉《ゆうげ》の膳を囲んでゆっくりと飲みはじめたのであったが、こんな辺陬な駅への区間列車なぞはこれでおしまいだったのであろう。機関車の入れ換え作業でもしているのか、機関庫と覚しいあたりからは蒸気を吐き出す音と一緒に鈍い汽笛の響きが、雪を孕《はら》んで寂然《ひっそり》とした夜の厚い空気を顫《ふる》わせて、いかにも雪深い田舎の停車場らしい趣を伝えてきた。
そんな空気の中で私と君太郎とは、さっき女中の焚《た》き付けて行ったストーヴにどんどん薪を抛《ほう》り込みながら、炬燵《こたつ》の上で熱いやつを酌《く》み交していたが、もう十日の余もこうして場所を換えては飲み汽車の中では飲みして酒に爛《ただ》れ切った喉には今更変った話があるというでもなければ酒の味が旨いというのでもなく、いい加減に切り上げて、各々床に潜《もぐ》り込んでしまった。そしてさあ、時間にしてどのくらいも経った頃であったろうか。
二
ふと私は、ただならぬ表の騒がしさに夢を破られて、がばと跳ね起きた。沈々と更け行く凍《い》てついた雪の街上を駈け抜ける人の跫音《あしおと》、金切り声で泣き叫ぶ声、戸外からは容易ならぬ気色《けしき》を伝えてくる。
てっきり火事だと私は直観した。子供の時分から、火事と聞くと一応飛び出して検分してこぬことには、どうしても気の納まらぬ性分であった。いわんや、こんな知った人もない一小|都邑《とゆう》! 風はないようであったが、旨く行って町中総|舐《な》めの大火にでもなってくれれば有難いぞと念じながら、私は丹前の上にしっかりと帯を締め直していると、眠っているとばかり思
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