葛根湯
橘外男
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)瑞典《スエーデン》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|静かに《クワイエトリ》!
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日本へ来て貿易商館を開いてからまだ間もない瑞典《スエーデン》人で、キャリソン・グスタフという六尺有余の大男がある。図体《ずうたい》に似合わぬ、途方もない神経質な奴であった。ある朝、用事があって訪ねて行ってみるとこの動脈硬化症は手紙を書いていたが、人の顔を見るといきなり手を振って、
「|静かに《クワイエトリ》! |静かに《クワイエトリ》! |小さな静かな声で話してくれ《スピーク ソフトリ》! |頭に響いてどうにも堪えられんから《ゲドン マイ ナーヴァス》」
と言うのであった。鼻風邪を引いたというのだったが、なあに引いたのは鼻の一部分だけで別段熱も何にもなく、のべつに涙を溜めて嚔《くしゃみ》をしているだけのことであったが、そこが大分人よりも違っている超神経質氏《スーパーナーヴァス》であったから言うことが頗《すこぶ》る振るっていた。内科医のところへ行くとありもせぬ病気をみつけ出されるのが怖いというので、絶対に足を踏み込まぬ男であったが、それほど気分が悪いのならジンかコニャックでも引っ掛けて、蒲団《ふとん》を被って寝ちまったらどうだと言ったら、グスタフは頭に響かせながら、
「WHAT《ホワット》 NONSENSE《ナンセンス》!」
と顔を歪《ゆが》めた。
「今|三村《ミチュムラ》ドクトルに掛っているのに酒が飲めるか!」
と際どいところで白状した。
グスは先月以来、酒を飲むと痛くて飛び上がる病気に罹《かか》って暮夜、ひそかに三村と呼ぶ花柳病《かりゅうびょう》専門の医者へ通っているところであった。
「そんなら、一ついいことを教えてやろう。日本には昔から葛根湯《かっこんとう》といって、風邪にすぐ効く素晴らしい薬があるが」
と切り出したら、
「日本の訳のわからん薬なんぞ、無暗《むやみ》に勧めないでくれ、NO!」
とまた顔を顰《しか》めた。私は元来葛根湯という煎《せん》じ薬が大好きで屁《へ》のようなことでもすぐ女房に葛根湯を煎じてもらうのであったが、何もグスに葛根湯を勧めるのは親切気なぞあってのことではない。さっきからあんまり野郎の神経質ぶりが可笑《おか》しいので、一つからかってくれよ
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