。下村観山氏はこの能面から画にした人で、観山氏の兄さんに当る人が能面を打っていたが、観山氏は松本金太郎の姻戚になるし、自然この能面に気を寄せたのでしょうが、面を絵画化して〈弱法師《よろぼし》〉を描いている。院展に出した維摩《ゆいま》を文殊が説きに行く図の維摩の顔の形なり線なりが当時画家や世間の問題になって評判を生んだもので、それがどういう所から考えて描いたかという事を不思議がられ、問題にもなったのでしたが、それは福来石王兵衛《ふくらいせきおうひょうえ》の創作になった石王尉の面の顔を維摩に持って来て篏めて描いたので、人間離れのしたもので、しかも浄化された芸術品となったものです。西行桜や遊行柳の桜や柳の精である老人の面で、だから俗人とは違って浄化されたものなんで、それを持って来て篏めたところに観山の頭のいいところがあった。つまり彫刻を絵にして成功したものなのであるが、その線なり形なりをそのまま使うのではなく、それを消化して一つの創作に変化さす事はなかなか難しいものがあると思う。松園さんもそれをやっています。特に美人画家だけに女の面について研究されたので〈花がたみ〉という絵には増阿弥の十寸神
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