あって松園さんもやってますが、色々の観方や行き方があるものです。これは謡曲の方でちょっと余談になりますが私が景年さんの御稽古をしていた時に、景年さんが謡曲の文章で風景を讃美したりする美文の所にくると「先生もう一度謡ってください」と黙ってそれを傾聴するのです。謡い了ると又同じ所を「もう一度お願いします」と言って何度も謡わせまして傾聴して考えていました。これは景年さんが謡曲の謡い方を稽古するのでなくって、その所を絵にする為で、それが景年さんの絵に時々なったのでした。ここで面白いのは景年さんが只その文章の美文だけを読んで絵にするのではなくって、謡という芸になったものを狙ったので、謡曲がその風景を美化して出す、その味を掴んで画にしようとした事です。景年さんの絵については色々と観方もありますが、とにかくこの謡からの取材の仕方が面白いと思われます。それと多少行き方が違うがお能の面を研究して絵画に使う人がある。
 松園さんが未だ無鑑査にならない、前の頃だと記憶していますが、出品画などには随分婦人の顔について研究していたらしいので、お能の面についても色々と訊ねられたり又自身で大分研究していた様子でした。下村観山氏はこの能面から画にした人で、観山氏の兄さんに当る人が能面を打っていたが、観山氏は松本金太郎の姻戚になるし、自然この能面に気を寄せたのでしょうが、面を絵画化して〈弱法師《よろぼし》〉を描いている。院展に出した維摩《ゆいま》を文殊が説きに行く図の維摩の顔の形なり線なりが当時画家や世間の問題になって評判を生んだもので、それがどういう所から考えて描いたかという事を不思議がられ、問題にもなったのでしたが、それは福来石王兵衛《ふくらいせきおうひょうえ》の創作になった石王尉の面の顔を維摩に持って来て篏めて描いたので、人間離れのしたもので、しかも浄化された芸術品となったものです。西行桜や遊行柳の桜や柳の精である老人の面で、だから俗人とは違って浄化されたものなんで、それを持って来て篏めたところに観山の頭のいいところがあった。つまり彫刻を絵にして成功したものなのであるが、その線なり形なりをそのまま使うのではなく、それを消化して一つの創作に変化さす事はなかなか難しいものがあると思う。松園さんもそれをやっています。特に美人画家だけに女の面について研究されたので〈花がたみ〉という絵には増阿弥の十寸神
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