能面と松園さんの絵
金剛巌
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鈍勝《どんか》ち
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(例)[#地付き](昭和十七年)
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二十年! もっと以前になりますか、私が松園さんを御稽古していたのは。近頃私は素人には稽古をしないので、松園さんの直接の御稽古は門中の廣田が行っています。近頃の謡もよく存じてますが、素質の良い方ではあるし、熱心で、なかなか上手です。私が松園さんを御稽古したり、又その方面から観まして感じた事は、ああいう風に今日画壇で女性として第一流の画家になるには並大抵の苦労ではなかったであろうと思う事です。それは謡曲を稽古していましても、素質がいいのですから直ぐ憶えて又解っていられるのですが、早呑込みを仕無いで得心の行くところまで訊きもし、又稽古をする方です。芸能というものは種別は変っても、その心掛けなり、態度なりはその人はその人としての同じものがあるから、その推定から松園さんは絵にも同じものがあるであろうと想っています。
世間には「鈍勝《どんか》ち」という事がある。才智が無くって愚鈍な者が一生懸命に努力する。他の人より何倍かの苦労と努力をしてその精励が実を結んで才智のある素質のいい人を抜いて行く。つまり愚鈍な者が努力で勝つ「鈍勝ち」である。この鈍勝ちは世の中の教訓として教えられ、又事実世間の事柄ではこの鈍勝ちである事を見受けるものであるが、然し芸能の世界ではこの鈍勝ちは、鈍勝ちの実を結ばないので、芸能には生れ付きの素質の良い事が大切な条件の一つになるので、生来芸能には鈍で、感の悪い、理のさとりの迂鈍な素質の悪い者は如何に努力しても大成しないのが普通です。どうもその人には気の毒だが芸能の世界はそうした特殊なものなんでしょう。然しただ素質が良いからそれでいいかというと、そうでない。矢張鈍勝ちと同じ努力や精進がなければならないので、玉磨かざればで素質の良い者が努力して初めて大成するのです。松園さんの場合もそうだと思う。今言った様に謡も素質が良いが努力もされる。そんな風に本技の絵となると、素質のいい上に数十年に亘る苦心と努力の精励を積み上げてあの立派な絵が出来たのだと、私は松園さんを知る限りに於てはそう考えています。
能や謡曲は絵に関係ある事柄が多いが、能を絵にしたりする人が沢山
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