かされた目には、飯田松川の流れは高雅にすぎたのかもしれないのだ。狩小屋から二時間も下らないうちに、大きく州《す》をなした川原についた。ふりかえると念丈の頂の雲のとばりは静々と引きあげられて、三日越しの雨空が、徐々に退却して行くらしかった。その夜下流の広川原をすぎて、山の夜の最後の野営にとりかかっていると、東方の尾根ぎわにほのかに月の光を汲んだ。頭に記した木材搬出用のトロ道に出たのは、翌朝ここの天幕《テント》をたたんで一時間と行かないうちである。
 御料林の伐材で急造された人夫小屋が軒を連ねて、監視小屋が対岸の最も高いところにストーヴの煙突をのぞかせていた。一番奥まった大きな小屋で、木樵《きこり》稼業で日本を渡り歩く四十男とその女房が、登山者の来訪にけげんなひとみを向けながら菜っ葉のつけものでお茶をすすめてくれた。
 たくさんの人夫小屋、トロリー軌道、ちょっとした畑、物干しの赤い色彩、犬のほえる声などはたくましい伐木の進捗を明示する行進曲で、秘渓の中に生活の侵略を看取することが出来る。僕は百メートルもの下の岩の廊下を走る水や、山腹を電光形に走る作業道路を俯仰した。もてなしのお礼に味噌の残
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