り約三百匁とイワシのかん詰めをお茶代がわりにその女房のしわ目の多い掌に進呈したのである。親父ははち巻きをとって山の鼻一つまがる所まで送ってくれた。トロリー道は山腹をほとんど勾配もなく進んでいる。空は完全に晴れ上がって、太陽の輝きには夏の最後の贅《おご》りがあった。谷を吹き上げる南風がトリカブトの群落をなでて、水ぎわをはるかに離れた身体には汗が感じられる。しかしゴールに近い歩幅《ストライド》には少しの渋滞もなかった。
旅は大平街道で終わった。故障続出の乗合自動車がなおも松川の流れに沿うて飯田の町にすべり込んだ時、見えない中央アルプスの主稜とおぼしき方向にはさかんな積乱雲の動きがあって、風越《ふうえつ》山の麓ではツクツクボウシが鳴いていたのである。
底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日第1刷発行
2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「旅」
1936(昭和11)年11月
初出:「旅」
1936(昭和11)年11月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
青空文庫作成ファイル:
こ
前へ
次へ
全11ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
細井 吉造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング