》を見つけ出すと、どよめきながら走り寄った。そして赤々と火をたいたのである。もしその夜が晴れ上がったならば、満月に近い光芒は、あたりを一層神話めいた環境にしたかもしれないが、山の端をもれる輝きはなかった。そればかりかわびしい一時雨が、狩小屋の戸口に咲くエゾニウのか細い茎をゆるがして過ぎた。しかし昨夜《ゆうべ》の天幕で濡れたものが燃え上がる炎でどしどしかわいて行くのは、心のむすぼれを解きほごしてくれる魔術のようだ。熟睡が待ちかまえていたのは決して偶然ではない。
平凡な美しさをペンに再現することはむずかしい。残る今一つの松川については、僕はこの感を深くするだけである。われわれが出発前推測した通り、飯田松川はその全体を通じて、あふれる平和な優姿《やさすがた》の中に、無量の感慨をこめてくすぐるようにささやく愛の言葉を持っていたのである。朝、乗越で東へ行く友と別れて、露に濡れた熊笹の中をまっしぐらに下ると、鋲靴の下で可憐な水のほとばしりに触れた。早くも展開した広やかな谷、それから無色に近い水の色、深淵に泳ぐ岩魚《いわな》の姿、みずみずしい大葉柳や楢《なら》、椈《ぶな》の森林、片桐松川の鬼面に脅
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