いあげたような眺めだった。そんなところでも水そのものの明澄美を汲みとることは困難だったほどである。水の美しさは谷の相をやわらげるけれども、片桐松川では逆に谷の険悪さに朱を入れたすごみを奏しているにすぎない。
うちに貯水池が出来るひどい雨漏り天幕の中で、まんじりとも出来ないこの夜ほど、長さをかこったことはなかった。夜陰、かたわらを過ぎる水の音が急に高まって耳に響いた。しのつく雨の中をラテルネを下げて検分に行くと、たしかに五寸は増水している。谷の上流も下流もまっ暗闇だ。むせぶような叫びは風になぎられる森林の悲鳴で、その瞬間水音は少しばかりかき消されるが、まもなく倍旧の響きを立てて応じて来る。午前一時……そして二時。谷の水音はこの時刻に一番強く響く。やはり丑満時《うしみつどき》で世間が一番静かな証拠なのだ。だがこの遠く深い谷の奥でも、夜陰の静けさが昼間をしのぐものがあるのだろうか。ふと、身震いを誘う鬼気が感じられる。昼も夜もここで聞くものはただ、谷の水の音だけではないか!
このような神経のとがった夜があけて、飛ぶ断雲の切れ目に、希望の光が慰めの微笑を投げてくれた。だからこそ更に七時間もの
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