苦闘を重ねて、ようやく念丈ガ岳の頂に立つことが出来たのだ。野営地から上、踏跡は全く急箭《きゅうせん》の流れに押しまくられて「監視路」の文字も無意識にうちに消え失せた。滝また滝。磊々《らいらい》たる大岩石の堆積、倒木のロウ・ハードル、見上げるような滝となって落ち込む威圧的な支流、コマツ沢の合流点付近では、本支流とも、三つの荒《すさ》んだ滝となって相剋《そうこく》している。やがて見上げるような大くずれの源流、ボロボロの川床、縦横に入り乱れるカモシカ道、スカイラインがじりじりと近づいて来る。森林帯のあえぎが終われば、まばら木立ちに立ち迷う霧の残兵を追って、深い熊笹の波を乗り越え、待望久しかった尾根に出る。脚下の松川は陥没した海の底の地盤のように一挙に遠い世界になってしまった。
 里へ下ってから書く山行記録が既にして一つの回想録であるならば、二つの松川の接触点に当たる念丈岳と奥南岳との鞍部で送った甘美なる一夜についての思い出も語らなければならない。森林の領域から解放されたこの乗越《のっこし》は、風や霧の通り道だけでなく北国の鉛色の冬足に追われたツグミの群れが、南信濃から太平洋岸にかけて明るい生
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