ためにひらかれたものではない。それはところどころ川床の岩に黒ペンキで示された「監視路」の文字が、やがてこの谷にも入るであろうところの、伐木の近きを約束しているのでもわかる。谷の奥の山は、気のつまるほどの黒木におおわれて、既にアルプス的容貌から逸脱しているのだ。だがわれわれの目的は松川の谷を見ることにある。しかも谷の姿は非凡だった。
両岸から入る支流は、ほとんど全部が滝となって落ちている。中央アルプスの伊那側の谷はどれもそうだが、谷の奥になって悪場が出て来る。松川もやはりそのカテゴリーからはずれてはいなかった。下流で見たあの大きな流れがいったん山すそに遁入《とんにゅう》すると、急にくびられたように狭くなって、滝の多い岩壁を露出した「鰐《わに》のあくび」のような形相に一変する。そして奔下する水が、汚濁とは言わないまでもどこか無気味な不透明さをたたえているのは、源流に大きな崩潰《ぬけ》のある証拠なのだ。大ナメ八丁という場所は、烏帽子《えぼし》岳の頂稜から、真南に落下しているユワタル沢の合流点から始まる。わずかの間にすぎないが、花崗岩の一枚岩の川床に、滝と淵の数えきれない連続を、一本の糸で縫
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