かされた目には、飯田松川の流れは高雅にすぎたのかもしれないのだ。狩小屋から二時間も下らないうちに、大きく州《す》をなした川原についた。ふりかえると念丈の頂の雲のとばりは静々と引きあげられて、三日越しの雨空が、徐々に退却して行くらしかった。その夜下流の広川原をすぎて、山の夜の最後の野営にとりかかっていると、東方の尾根ぎわにほのかに月の光を汲んだ。頭に記した木材搬出用のトロ道に出たのは、翌朝ここの天幕《テント》をたたんで一時間と行かないうちである。
御料林の伐材で急造された人夫小屋が軒を連ねて、監視小屋が対岸の最も高いところにストーヴの煙突をのぞかせていた。一番奥まった大きな小屋で、木樵《きこり》稼業で日本を渡り歩く四十男とその女房が、登山者の来訪にけげんなひとみを向けながら菜っ葉のつけものでお茶をすすめてくれた。
たくさんの人夫小屋、トロリー軌道、ちょっとした畑、物干しの赤い色彩、犬のほえる声などはたくましい伐木の進捗を明示する行進曲で、秘渓の中に生活の侵略を看取することが出来る。僕は百メートルもの下の岩の廊下を走る水や、山腹を電光形に走る作業道路を俯仰した。もてなしのお礼に味噌の残り約三百匁とイワシのかん詰めをお茶代がわりにその女房のしわ目の多い掌に進呈したのである。親父ははち巻きをとって山の鼻一つまがる所まで送ってくれた。トロリー道は山腹をほとんど勾配もなく進んでいる。空は完全に晴れ上がって、太陽の輝きには夏の最後の贅《おご》りがあった。谷を吹き上げる南風がトリカブトの群落をなでて、水ぎわをはるかに離れた身体には汗が感じられる。しかしゴールに近い歩幅《ストライド》には少しの渋滞もなかった。
旅は大平街道で終わった。故障続出の乗合自動車がなおも松川の流れに沿うて飯田の町にすべり込んだ時、見えない中央アルプスの主稜とおぼしき方向にはさかんな積乱雲の動きがあって、風越《ふうえつ》山の麓ではツクツクボウシが鳴いていたのである。
底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日第1刷発行
2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「旅」
1936(昭和11)年11月
初出:「旅」
1936(昭和11)年11月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
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