が来たからこの案内を頼む、彼は都合上|島々《しましま》に行って来ると言って、十五日を登山日と定める、二日間滞在中穂高行の同志が四名増して一行五名。
 十四日嘉与吉が来た、彼は脚気《かっけ》で足が痛むというので、途中宮川の小屋に立ち寄り、親父《おやじ》に代ってもらう事に話して来たゆえ、明朝父の居を尋ねて行かるれば、小屋からすぐ間道《かんどう》を案内するという。よろしい、実際痛いものなら仕方がない、嘉門次ならなお詳《くわし》かろうとそう決めた。

    二 穂高岳東口道

 十五日前三時、起て見ると晴、先《ま》ずこの様子なら降《ふ》りではなかろう、主人の注意と下婢《かひ》の働きで、それぞれの準備を終り、穂高よりすぐ下山する者のためにとて、特に案内者一名を傭《やと》い、午前の四時、まだ昧《くら》いうち、提灯《ちょうちん》を便《たよ》りての出発。梓《あずさ》川の右岸に沿い、数丁登って河童橋《かっぱばし》を渡り、坦道《たんどう》を一里ばかり行くと、徳合《とくごう》の小屋、左に折れ川を越えて、少々下れば、穂高仙人、嘉門次の住居、方《ほう》二|間《けん》余、屋根・四壁等皆板張り、この辺の山小屋とし
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