穂高と最高峰とを連ねている最低部、横尾谷より来ると、この辺が登れそうに見えるが甚《はなは》だ危険だ、奥穂高と北穂高との間を通るがよい。霧は次第に深く、かてて雨、止むを得ず合羽《かっぱ》を纏《まと》い、岩陰で暫時雨を避け、小降りの折を見て、また登り始める。
四 雲の奥岳
道はますます嶮《けわ》しくなる、鋸歯《きょし》状の小峰を越ゆること五つ六つ、午後二時二十分、最高峰奥穂高「信飛界、奥穂高岳、徹蔵氏」「信飛界、岳川岳、フィシャー氏」の絶巓《ぜってん》に攀じ登った。南穂高からは半里で、およそ二時間かかる、頂の広さ十数歩、総て稜々《ぎざぎざ》した石塊、常念峰のような円形のものは一つもない、東隅には方二寸五分高さ二尺の測量杭がたった一本。東南は信濃|南安曇《みなみあずみ》郡安曇村、一歩転ずれば飛州|吉城《よしき》郡|上宝《かみたから》村、海抜約三千百十米突、従来最高峰と認められていた、南穂高を凌《しの》ぐ事実に一百余米突、群峰の中央に聖座しているから、榎谷氏のいわれた奥穂高が至当だろう。またも雲の御幕で折角の展望もめちぁめちぁ[#「めちぁめちぁ」に傍点]、ただ僅かの幕の隙《す》き間《ま》を歩いた模様で、概略の山勢を察し得られたのは、不幸中の幸。
遥か南々西に位する雄峰乗鞍岳に禦《あた》るのには、肩胛《けんこう》いと広き西穂高岳が、うんと突っ張っている、南方霞岳に対しては、南穂高の鋭峰、東北、常念岳や蝶ヶ岳を邀《むか》うには、屏風岩の連峰、北方の勁敵《けいてき》、槍ヶ岳や大天井《おおてんしょう》との相撲《すもう》には、北穂高東穂高の二峰がそれぞれ派せられている、何《いず》れも三千米突内外の同胞、自ら中堅となって四股《しこ》を踏み、群雄を睥睨《へいげい》しおる様《さま》は、丁度、横綱の土俵入を見るようだ。さはいえ、乗鞍や槍の二喬岳を除けば、皆前衛後衛となって、恭《うやうや》しく臣礼を取っているにすぎぬ。槍ヶ岳対穂高岳は、常陸山《ひたちやま》対梅ヶ谷というも、強《あなが》ち無理はなかろう、前者の傲然|屹《つ》っ立《た》てる、後者の裕容迫らざるところ、よく似ている。あわれ、日本アルプスの重鎮、多士済々の穂高には、さすがの槍も三舎を避けねばなるまい、彼は穂高に対し、僅かにこれと抗すべき一、二峰派しているも、大天井や鷲羽《わしば》に向う子分は、貧乏神以下、先ず概勢はこん
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