》れは何の願いもない、たった一度でいいに、東京を見て死にたい」という。お喋《しゃべ》りの「ボコ」はすぐ口を出す。「俺ら東京へゆくぞよ、東京へ往って、年イ拾うてデカくなるンぞ、俺ら年イ拾うてデカくなると、カッカはバンバになるぞ」という。
話はそれからそれへと移る。平林の村は殆ど日蓮宗であること、自分たちは冬になると平林へ帰ること、池の傍だけに寒さの強いということ、この池から氷が採れる、厚く張る時は二尺を超える、一尺の氷の下に置いた新聞も読めるほど透明であるということ、これから先は、毎日この家に日はあたらぬ、雪もかなり深いということ、先年東京から祭文《さいもん》語りが来て、佐倉宗吾の話をした時、降り積む雪は二尺あまりというたので、気早の若者は、馬鹿を吐け、山の中じゃああるまいしと、大いに怒って撲《なぐ》りつけたという。「東京でも所によると二尺位い積った年もあった」というたら、亭主は「へへー、それじゃ祭文語りは可愛想《かわいそう》でした」と大笑いをした。
おかみさんは、商売物の水飴を箸《はし》に巻いてはしきりに勧《すす》める。「よしえボコ」は絶えず口を動かしていたが、終に牀《ゆか》の上か
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