十度なりに僅かずつ平にして、蕎麦《そば》、粟、稗《ひえ》、豆の類を作るので、麦などはとても出来ぬ。もしこの焼木の柵を離れたなら、足溜りがなくて、直立していることは出来ない。山なき国の人は畑は平なものと思っていよう。私もかつてはそう思った一人であった。この辺の人々は、畠は坂になっているものと思っていよう。田もない池もない、早川や湯川や、滝のように流るる姿を見ては、水も恐らく平のものとは考えていないかも知れない。
 焼畑は、その焼灰が肥料となって、三、四年は作物も出来る。それから後はそのまま捨ておいて、十七、八年目に更に同じことを繰返すのだという。
 宗忠は、暮れぬ間に湯島へ往って、今夜の食料を持って来るという。湯島へゆくなら何か駄菓子でも買って来よといえば、そんなものは村にはないという。砂糖でもよいといえば、正月か祭の時ででもなければ誰の家でも持たぬという、なるたけ早く帰りますと言捨《いいす》てて、猿の如く麓を目がけて走り去った。
 秋の西山一帯は、午後三時の日光をうけてギラギラと眩《まぶ》しいように輝いている、常磐木の緑もあろう、黒き岩もあろう、黄なる粟畑もあろうが、それらは烈しき夕陽
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