では急いでスケッチもした。女阪峠を上る時も片鱗はいく度も見たが、全形を眺むることは出来なかった。
精進《しょうじ》を過ぎ本栖《もとす》を発足《た》って駿甲の境なる割石峠の辺から白峰が見える。霞たつ暖い日で、山は空と溶け合うて、ややともすればその輪廓を見失うほど、杳《はる》かに、そして幽《かす》かなものであった。
二
甲州西山は、白峰の前岳で、早川の東、富士川の西に介在せる、五、六千尺の一帯の山脈である。この峠に立ったなら、白峰は指呼《しこ》の間に見えよう、信州|徳本《とくごう》峠から穂高山を見るように、目睫《もくしょう》の間にその鮮かな姿に接することが出来ないまでも、日野春《ひのはる》から駒ヶ岳に対するほどの眺めはあろう。早川渓谷の秋も美《うるわ》しかろう。湯島の温泉も愉快であろう。西山へ、西山へ、画板に紙を貼《は》る時も、新しく絵具を求むる時も、夜ごとの夢も、まだ見ぬ西山の景色や白峰の雪に想《おも》いを馳《は》せていた。
東京を発足《た》ったのは十一月一日、少し霧のある朝で、西の空には月が懸っていた。中野あたりの麦畑が霞んで、松二、三本、それを透して富士がボーっ
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