と夢のよう、何というやさしい景色だろうと、飽《あ》かず眺めつつ過ぎた。小仏《こぼとけ》、与瀬、猿橋、大月と、このあたりの紅葉はまだ少し早いが、いつもはつまらぬところでも捨てがたい趣きを見せていた。
長いトンネルを出ると初鹿野、ここから塩山《えんざん》までの間に白峰は見えるはずだ。席を左に移して窓際に身をピッタリ。
果然、雪の白峰連嶺は、飽くまで蒼《あお》い空に、クッキリとその全身を露わしている。水の垂れそうな秋の空、凍ったような純白の雪、この崇高な山の威霊にうたれて、私は思わず戦慄《せんりつ》した。袂《たもと》にスケッチブックのあることを忘れた。もう西山までゆかなくともよいと思った。
雪の山はトンネルのために、幾度となく隠れ、また現われた。その度ごとに、私は曇ったガラスを拭《ふ》いて、瞬時でも見逃がすまいと眸《ひとみ》を凝《こ》らした。三度五度、ついには全くその姿を失うて、車は大なるカーブを画き、南の方|無格恰《ぶかっこう》な富士の頂を見た時、夢から醒《さ》めたような思いがした。そしてこの時ほど富士山を醜く見たことはない。
十二時半に甲府に着いて、すぐ鉄道馬車の客となった。今に
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