退屈紛れに幾度も湯に入る。浴槽の天井には一坪ほどの窓があって、明放しだから、湯の中に雨が降り込む、入口も明け放しで、渓の紅葉の濡色《ぬれいろ》が美しい。湯に全身を浸している時は馬鹿に心持はよいが、出ると寒くってゾーっとする、も少し熱かったらと残念に思われる。
 雨の日や夜分は、便所の通いもいささか厄介《やっかい》である。母屋を離れて細い崖の上を二十間もゆくので、それもあまり綺麗ではない。時としては下駄のないこともある。あっても濡れていて無気味なこともある、夜は往々ただ一つの燈火が消えていて、谷へ落ちはしまいかとおそるおそる足を運ばなければならない。

      九

 六日には漸《ようや》く晴れた。結束して奈良田の方へ往った。白雲の去来|烈《はげ》しく、少しく寒い朝であった。
 早川渓谷の秋は、いまは真盛りで、いたるところの草木の色は美《うるわ》しい。細い細い道を辿ってゆくと、時として杉の林の小暗《おぐら》きところに出る、時として眩《まぶ》しいような紅葉の明るいところに出る、宿から半道も来た頃、崖崩れのために道は絶えた。
 見ると四、五十間の広さに、大石小石のナダレをなしている。幾百
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