ろう。薄く剥《は》がれる黒い大きな岩を越えると、水際で、澄みわたった水は矢よりも早く流れてゆく、あたりには青い石も赤い石もある。霧のかかった上流の山、紅に染まった両岸の林、美《うるわ》しい秋の絵が一枚出来そうである。
 私は、刻んで動く水を好まない。この川の上流は野呂川とよばれて、水は油のように、山影を浮べたまま静かに静かに流れているという、私はそういうところを画きたいが、この空模様で二里三里の奥へゆく勇気もなく、終にここの河原に写生箱を開くことにした。
 空は漸く暗くなって、水の色が鉛のように光る。霧の霽《は》れた山はおりおり頂を見せる。足下に流るる水を筆洗《ひっせん》に汲んで鼠色の雲を画き浅緑の岩を画く。傅彩《ふさい》画面の半ばにも至らぬころ、ポツリポツリと雨は落ちて来て、手にせるパレットの紅を散らし紫を溶かす、傘をかざしてやや暫くは辛抱したが、いつ歇《や》むとも思えぬ空合に、詮方なく宿に帰った。
 この夜、大雨の中を、宿のおかみさんは青柳から帰って来た。このあたりでは、六、七歳位いまでの子供を「ボコ」という、その「ボコ」を二人連れて、七里の山道を、天長節のお祭見物に青柳へ泊りがけ
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