山中の白日は深夜よりもなお静かである。
 写生が終った時は、日もよほど傾いた。元の道を下ること十余丁、山と前景の色の面白いところで、一枚のスケッチをして宿に帰った。まだ四時前なのに、もうランプが点《つ》いていた。

      七

 四日は曇っていた。今にも降りそうなので躊躇《ちゅうちょ》したが、十時頃出て見た。まず下の早川の岸へゆく、二、三丁のところだけれど、石道の急坂で、途中に水溜りもあるので、下駄《げた》ではゆけない。脚絆《きゃはん》もつけ草鞋も穿《は》いて武装しなければならない。坂を下ると人の住まぬ古家がある。たけ高き草が茂っている、家の前には釣橋がある、針金を編んで、真中に幅広からぬ板が一枚置かれてある。夏の頃、湯の客が毎晩来ては動かして遊んだとかいうので、足をかけるとグラグラと揺れて、僅か四、五間の板を蹈むにもよい心持はしない。
 渡り終って、左の崖の崩れを強《し》いて下ると小さな河原がある。上流から木を流す時、浅瀬に乗り岩に堰《せ》かれたおりに、水の中心に押やるため、幾人かの山人が木と共に下って来る。その人たちの歩む道が、砂の上岩の角に印を止めている。粘板岩というのであ
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