とした訳がなるほどと肯《うなず》かれる。脚の下から北に走る国境山脈は、三俣山(千九百八十米、上州方面の称呼である。支脈東に延びて黒松岳、社山等を起し、中禅寺湖の南を限る。)でも宿堂房山でも、黒木の繁っているのはよいとしても、その間は一面の笹であるには驚いた。秩父の雲取山から金峰山に行く位の積りで、袈裟丸山から奧白根まで縦走して見ようかと思ったが、この笹ですっかり辟易《へきえき》してしまった。
 二時半に三角点を辞して、少し東に下ると例の剣が建ててある。国境はそれよりも更に東寄りで、東北に向った切明の跡は密生した若木に閉され、殆んど足の踏み入れようもない。南に向うものは疎《まば》らな笹の中を下るので、甚しく邪魔されるようなことはなかった。下り切るとやや深い笹を分けて二つの隆起を踰《こ》えた。三時三十五分である。二つ目の隆起は、字クワノキ平の標木があった。食慾減退の祟《たた》りがそろそろ現れて来たようだ。前に高く屹立《きつりつ》した鋸山の最高点へは登らずに済むかと思ったが、どうも登らずには通れぬらしい。この登りは恐ろしく急で手足を働かさなければならなかった。赭色の岩壁が段をなして連っている
前へ 次へ
全26ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木暮 理太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング