《のみとりまなこ》で地図の上を物色して、此処《ここ》にも一つあったと漸く探し出されるほど、顕著でない山なのである。自分も陸地測量部の男体山《なんたいさん》図幅が出版されて、始めて「皇海山、二千百四十三米五」ということを知った。そしてその附近には二千米を超えた山がないのを見て、これは面白そうだと喜んだ。勿論かく喜んだのは自分一人ではなかったであろうと想《おも》われる。
 しかし実際展望したところでは、この山はかなり顕著なものである。その当時他の方面は知らなかったが、南から眺めると、上州方面で根利山と総称している袈裟丸山の連脈の奥に、左端のやや低い凹頭を突兀《とっこつ》と擡《もた》げているので、雪の多い季節には場所によっては、時として奥白根と間違えられることさえあった。東京市内の高い建物や近郊の高台から、この山が望まれることはいうまでもない。もっともそれが何山であるかは知るを得なかったが、五万分の一の地形図が刊行されて、皇海山に相当することが判然したのである。
 しかし古い図書には皇海山の名は記載してない。正保図には利根《とね》勢多《せた》二郡及|下野《しもつけ》との境に「さく山」と記入し
前へ 次へ
全26ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木暮 理太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング