刊行されたる測量部の五万分一図出でて、地形はじめて明瞭となり、平ヶ岳(平岳に作る)を八海山図幅に、鶴ヶ岳(影鶴山に作る)を藤原図幅に収めたり、地質調査所の二十万分一詳図は、いまだ全部の完結せざる故にや、地理学者の多くは同所の予察図に拠《よ》り、約三十年前に出版されたる日光図幅の正確なるものに採《と》らずして、『大日本地誌』の如きも平ヶ岳を省きて、鶴ヶ岳を載せたり、かくの如く鶴ヶ岳の名はかなりの勢力ありてまた好名称なれば、余は出所も知れざる新名称の影鶴山を避けて、鶴ヶ岳の名を用うるものなり。
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平ヶ岳に登る
平ヶ岳に関しては前章に於て長々と陳《の》べたが、まだ嫌焉《あきたら》ぬからこの章の前叙としてもう少し記する、この山は深山中の深山であって普通の道路から見えぬから、容易に瞻望《せんぼう》することが出来ないし、それが原因で世人に知られていないのである、また蓮華《れんげ》群峰や妙高山《みょうこうさん》や日光|白根《しらね》、男体山《なんたいさん》、赤城山、浅間山、富士山からも見えるには、見えているはずであるが群峰畳嶂の中にあるから、その独特の形状を認め
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