というて自分と主従のような関係のあった者である、高橋氏と白井から銀山平方面の山岳に登るように、面会の時や便の折に毎々勧告される、そこで大平晟氏と銀山平へ見物に行くことになった、自分は平岳に登るのが主眼で、大平氏は燧岳《ひうちがたけ》に登って日光へ抜けらるる計画で、時間の都合で同行もしようと約束して、準備までしたが、出発の四、五日前になって自分は差支が出来て中止することとなった、已《や》むを得ぬから大平氏に依頼して、平岳に関係した一切の事を聞き合してもらうことにした、大平氏が帰宅されて御土産話しをされたので、はじめてこの山の大体の見当が付いた、称呼をヒラガタケといって鶴ヶ岳と別物であること、只見川の支流の北又川の支流である中又川を登って、高橋農場から二夜以上の野宿をして往復することが出来て、案内者は大平氏が駒ヶ岳(魚沼)の案内をさした桜井林治という者で、大湯温泉で容易に雇い入るる事が出来て、山の頂上は苗場山《なえばさん》式に広闊《こうかつ》であるということが分明になった、そうして大平氏は初めは平ヶ岳に趣味を持たなかったが、案内者の咄《はなし》を聞いてから登攀して見たくなったと附説された、
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