はないし、人夫も比較的に閑暇であるから便利だというのである、余分の日子《にっし》と防寒具の用意をして初冬に登るべきである。
人夫は本年四人を連れていっているから、これだけ案内者を養成した訳である、下折立の星甚太郎、この男は二回登攀している訳である、銀山平の星定吉、この男は熊狩をしているから谷や沢の方は詳しい、以上の二人の中の一人がいれば案内は出来る、大湯温泉東栄舘の桜井次郎は弱年であるから保証はしにくい、藪神村の桜井兼吉は遠方だから予定することは出来まい、序《ついで》にいうが人夫の賃金はこんなに多忙の中でも一日七十五銭であった、しかし閑暇の時だというて安いかどうかは談判して見ないから知らない。
博文舘発刊の『太陽』第一年第一号に利根川の水源探検記が載っている、自分は多分平ヶ岳に登ったのではあるまいかと考えていたが、利根川の水源は丹後山の東から出ているから、平ヶ岳の絶頂からは尾根伝いに行ったならば、三里以上もあるかもしれない、探検記の著者は山名を明記していないから、勿論臆断ではあるが八海山図幅の無名の 1592 か、丹後山の辺へでも登ったものらしい、さすれば陸地測量部と大林区の役人を
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