自分はますますこの山に登りたく思っていたが、その翌年はふとしたことから登山時期を海外に過ごしてしまった、昨大正三年六月には、高橋氏にも依頼したり、白井へも発信して平ヶ岳の案内者を雇い入れてもらう事にしておいた、折しもその辺の五万分一仮製図が刊行されたから、雀躍《こおど》りせんばかりにして出発した、七月中旬に大湯《おおゆ》温泉の東栄舘に四、五日滞在して、林治を案内者として駒ヶ岳へ登った、それから林治を連れて銀山平の高橋農場へ着いた、白井が兼ねて依頼しておいた案内者の大久保某は、銀山平の某養蚕所へ雇われて来ているので、自分らが銀山平へ行ったのが四、五日遅れたのと、養蚕が少し平年より早いので、多忙の時期に向って来たので、案内が出来ぬということになった、白井が養蚕所へ談じて養蚕所では承諾してくれたが、大久保某の妻君が臨月なので、妻君の方から不服が出たとやらで、大久保某は案内が出来ぬことになって、折角《せっかく》白井が尽力してくれたのも画餅《がへい》となった、大久保某の言に拠《よ》ると、只見川の上流の白沢を登るが便利というので、この登路は林治は知らないのである、大久保某に断られてから白沢の登路を変更して、林治を案内として中又川を登ることに決定した、さていよいよ多年の宿望を果す日が来たかと、早朝に起きて見ると快晴である、急いで結束していざ出発となると、人夫が一人いなくなっている、元来湯谷村は行き詰りの山村であって、大湯と橡尾又《とちおまた》の二温泉があるから、他所から這入《はい》る人の過半は遊びに行くので、土地相応の贅沢《ぜいたく》はすることになる、随《したが》って土着の人には他所から来て少しでも知られている者からは、かかり合いに余徳があるものと考えているものが多い、銀山平開墾事業が起って、白井が高橋農場の主任となってからは、賃金を一定するとか、その他にいろいろ改良を試みたので、表面からは誰れも文句を出すものはないが、裏面では反感不平を抱いているものもある、その復讐《ふくしゅう》か否《いな》かそこまでは知らないが、人夫の一人の労働の割合に賃金が不足だというて、前夜白井に叱責《しっせき》された男が、今朝になって急に病気になったから帰えるといい出して、林治と今一人の人夫が様々に説諭したが、白井が自分の所へ来ている中に匆々《そうそう》帰村したことが分った、銀山平の養蚕をしない農家は、
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