動き、いつか、母のように想って握った手で手をとられると、頼りたさにうずき、青江の持って来た花に唇を触れた。そこへ三ツ木が這入って来、青江を厳粛そうに手招ぎした。
 久能は自問していた。自分は真実を知ろうとしているのだろうか、それとも真実をこわしているのだろうか、何故、この様なからくりの中に青江をひき入れたのだろうか? 死や真実を徒らにもてあそんでいる自分は何という浅間しい人間だろう? 何も信じないでいられる世界はないのだろうか? そして久能は自分がこうするのは、真底からは青江を愛し、信じたがっているからなのだと思った。
 青江が帰って来た。涙が乾いて視線がひどく遠い処に散っていた。笑い出しそうでもあったその表情は発狂の前徴に似ているかも知れなかった。久能は、帰れ、と青江にいいたい誘惑を感じていた。長い時が流れた。とうとう久能は、僕を安心させてくれ、一言、僕に知らしてください、と青江に説くようにいい始めた。それは思いがけない程青江にとって劇しい責苦であるらしかった。彼女は電気に打たれたようにくずおれると、ベットに倒れかかった。‥‥やはりそうだったのか‥‥久能は重たい石をおろした、或は身体を叩きつけられたような衝動に全身を委していた。
 あたし自分でもすっかり忘れて了いたいと思っていたの、と青江は平静になっているように見える顔をあげていい出した。あの××ホテルの便箋憶えていらっしゃる? あんなものどうして持ちかえったのか知らなかったけど、あなたに見られてぞっとしたわ、あたし千駄木の家を出て、もとの会社にいると、さがし出されるでしょ、だからそこを止めたのよ。そして勤先捜してると、あたしを子供の時知ってた弁護士に会ったの、みちで、青江さんじゃないときかれて、あたし判らないでいると、色々話しかけて来て、あたしの家のことや何かきくの、それであたし答えてる中に、あたしが仕事をみつけてるの知ると、その人事務所を開きたいと思ってるところだといって、××ホテルへ‥‥‥‥
 これが真実をきいているというのか? 久能はめまいを感じ、青江が遠くに、そして恐ろしく魅力なく、知らない女に見え出し、花束の酔わせる匂に夢心地になっていき、これから一体何が始まって来るのだろうかと、おぼろげに心愉しくなっていくようでもあった。



底本:「行動 第二卷 第二號」紀伊国屋出版部
   1934(昭和9)年2月1日
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※「まゝ」は「まま」のように繰り返しはかなに直しました。
※「欝」と「鬱」の混在は底本通りにしました。
入力:大野晋
校正:仙酔ゑびす
2009年11月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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