機嫌を取るために、頼子には全く無関心をよそおい、青江の額に手を触れ、髪を撫でるのだった。併し漠然と、こうしていたら、病床から起き出したとき、青江に冷淡さを示すのは随分困難になりそうだと不安になった。それでも母か、奴隷としての、青江のひたむきさに久能は惹きつけられ始めていた。
 久能はまた学校に通い出した。久能達の作品は悉く不評、というより何の評判も聞えなかった。旅行から二三日前に帰って研究室に遊びに来た龍野氏に偶然、出遇うと、龍野氏は約束を果さなかった言訳を簡単にいったきり、不快げに眼を細く光らしていた。それで久能は自分達の作品に対する龍野氏の不満が判ったばかりでなく、氏の留守中に久能が妹を訪門したのを気づいたらしい肉身的な不快さが読みとれ久能の背筋は冷たくなった。思い余って久能は、数日前、随筆のお礼にかこつけて、龍野氏の留守を知りながら頼子を訪ねていった。玄関に這入って行くと、頼子が弾いているらしく、ピアノの音が洩れ、女中があらわれると一緒に、それは止み、いよいよ頼子に会うことが出来るのだという期待で、動悸を算えていると、女中は、口を曲げて出て来、頼子は外出中だといった。ピアノを弾く
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