がる浪の音が遠く聴えた。それに耳を傾けると、そのさッと言ってしばらく聴えなくなる間に、僕は何だかたましいを奪われて行くような気がした。それがそのまま吉弥の胸ではないかと思った。
 こんなくだらない物思いに沈んでいるよりも、しばらく怠っていた海水浴でもして、すべての考えを一新してしまおうかと思いつき、まず、あぐんでいる身体《からだ》を自分で引き立て、さんざんに肘《ひじ》を張って見たり、胸をさすって見たり、腕をなぐって見たりしたが、やッぱり気が進まないので、ぐんにゃりしたまま、机の上につッぷしてしまった。
「おやッ!」かしらをあげると、井筒屋は大景気で、三味の音《ね》がすると同時に、吉弥のうわ気な歌声がはッきりと聴えて来た。僕は青木の顔と先刻車から出た時の親夫婦の姿とを思い浮べた。

     一一

 その夜はまんじりとも眠れなかった。三味の音が浪の音に聴えたり、浪の音が三味の音に聴えたり、まるで夢うつつのうちに神経が冴《さ》えて来て、胸苦しくもあったし、また何物かがあたまの心《しん》をこづいているような工合であった。明け方になって、いつのまにか労れて眠ってしまったのだろう、目が醒《さ》
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