の料理屋の地面から、丈《せい》の高いいちじくが繁《しげ》り立って、僕の二階の家根《やね》を上までも越している。いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見ていると、何となくしんみりと、気持ちのいいものだから、僕は芭蕉葉《ばしょうば》や青桐《あおぎり》の葉と同様に好きなやつだ。しかもそれが僕の仕事をする座敷からすぐそばに見える。
それに、その葉かげから、隣りの料理屋の綺麗《きれい》な庭が見える。燈籠《とうろう》やら、いくつにも分岐《ぶんき》した敷石の道やら、瓢箪《ひょうたん》なりの――この形は、西洋人なら、何かに似ていると言って、婦人の前には口にさえ出さぬという――池やら、低い松や柳の枝ぶりを造って刈り込んであるのやら例の箱庭式はこせついて厭《いや》なものだが、掃除のよく行き届いていたのは、これも気持ちのいいことの一つだ。その庭の片端の僕の方に寄ってるところは、勝手口のあるので、他の方から低い竹垣《たけがき》をもって仕切られていて、そこにある井戸――それも僕の座敷から見える――は、僕の家の人々もつかわせてもらうことになっている。
隣りの家族と言っては、主人夫婦に子供が二人、それに
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