独《ひと》りではお寂しかろ、婆々《ばば》アでもお相手致しましょう」
「結構です、まア一杯」と、僕は盃《さかずき》をさした。
婆さんはいろんな話をした。この家の二、三年前までは繁盛《はんじょう》したことや、近ごろは一向客足が遠いことや、土地の人々の薄情なことや、世間で自家の欠点を指摘しているのは知らないで、勝手のいい泣き言ばかりが出た。やがてはしご段をあがって、廊下に違った足音がすると思うと、吉弥が銚子《ちょうし》を持って来たのだ。けさ見た素顔やなりふりとは違って、尋常な芸者に出来あがっている。
「けさほどは失礼致しました」と、しとやかながら冷かすように手をついた。
「僕こそお礼を言いに来たのかも知れません」
「かも知れませんでは、お礼になりますまい!」
「いや、どうも――それでは、ありがとうござります」
と、僕はわざとらしくあたまを下げた。
「まア、それで、あたい気がすんだ、わ」
吉弥はお貞を見て、勝利がおに扇子を使った。
「全体、まア」と、はじめから怪幻《けげん》な様子をしていたお貞が、「どうしたことよ、出し抜けになぞ見たようで?」
「なアに、おッ母さん、けさ、僕が落したがま口を拾ってもらったんです」というと、その跡は吉弥の笑い声で説明された。
「それでは、いッそだまっておれば儲《もう》かったのに」
「ほんとに、あたい、そうしたらよかった」
「あいにく銅貨が二、三銭と来たら、いかに吉弥さんでも驚くだろう」
「この子はなかなか欲張りですよ」
「あら、叔母さん、そんなことはないわ」
「まア、一つさしましょう」と、僕は吉弥に猪口《ちょく》を渡して、「今お座敷は明いているだろうか?」
「叔母さん、どう?」
「今のところでは、口がかかっておらない」
「じゃア、僕がけさのお礼として玉《ぎょく》をつけましょう」
「それは済みませんけれど」と言いながら、婆アさんが承知のしるしに僕の猪口に酒を酌《つ》いで、下りて行った。
三
「お前の生れはどこ?」
「東京」
「東京はどこ?」
「浅草」
「浅草はどこ?」
「あなたはしつッこいのね、千束町《せんぞくまち》よ」
「あ、あの溝溜《どぶだめ》のような池があるところだろう?」
「おあいにくさま、あんな池はとっくにうまってしまいましたよ」
「じゃア、うまった跡にぐらつく安借家が出来た、その二軒目だろう?」
「しどいわ、あなたは」と、ぶつ真似《まね》をして、「はい、これでもうちへ帰ったら、お嬢さんで通せますよ」
「お嬢さん芸者万歳」と、僕は猪口をあげる真似をした。
三味《しゃみ》を弾《ひ》かせると、ぺこんぺこんとごまかし弾きをするばかり。面白くもないが、僕は酔ったまぎれに歌いもした。
「もう、よせよせ」僕は三味線を取りあげて、脇《わき》に投げやり、「おれが手のすじを見てやろう」と、右の手を出させたが、指が太く短くッて実に無格好であった。
「お前は全体いくつだ?」
「二十五」
「うそだ、少くとも二十七だろう?」
「じゃア、そうしておいて!」
「お父《とっ》さんはあるの?」
「あります」
「何をしている?」
「下駄屋《げたや》」
「おッ母さんは?」
「芸者の桂庵《けいあん》」
「兄《にい》さんは?」
「勧工場《かんこうば》の店番」
「姉さんは?」
「ないの」
「妹は?」
「芸者を引かされるはず」
「どこにつとめているの?」
「大宮」
「引かされてどうするの?」
「その人の奥さん」
「なアに、妾《めかけ》だろう」
「妾なんか、つまりませんわ」
「じゃア、おれの奥さんにしてやろうか?」と、からだを引ッ張ると、「はい、よろしく」と、笑いながら寄って来た。
四
翌朝、食事をすましてから、僕は机に向ってゆうべのことを考えた。吉弥が電燈の球に「やまと」のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴《やつ》、見《み》ず転《てん》の骨頂だという嫌気《いやけ》がしたが、しかし自分の自由になるものは、――犬猫を飼ってもそうだろうが――それが人間であれば、いかなお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津にいる間は可愛がってやろう、東京につれて帰れば面白かろうなどと、それからそれへ空想をめぐらしていた。
下座敷でなまめかしい声がして、だんだん二階へあがって来た。吉弥だ。書物を開らこうとしたところだが、まんざら厭な気もしなかった。
「田村先生、お早う」
「お前かい?」
「来たら、いけないの?」ぴッたり、僕のそばにからだを押しつけて坐った。それッきりで、目が物を言っていた。僕はその頸《くび》をいだいて口づけをしてやろうとしたら、わざとかおをそむけて、
「厭な人、ね」
「厭なら来ないがいい、さ」
「それでも、来たの――あたし、あなたのような人が好きよ。商売人?」
「ああ、商売人
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