「どんな商売?」
「本書き商売」
「そんな商売がありますもんか?」
「まア、ない、ね」
「人を馬鹿にしてイるの、ね」と、僕の肩をたたいた。
 僕を商売人と見たので、また厭気がしたが、他日わが国を風靡《ふうび》する大文学者だなどといばったところで、かの女《じょ》の分ろうはずもないから、茶化すつもりでわざと顔をしかめ、
「あ、いたた!」
「うそうそ、そんなことで痛いものですか?」と、ふき出した。卦算《けさん》の亀《かめ》の子をおもちゃにしていた。
「全体どうしてお前はこんなところにぐずついてるんだ?」
「東京へ帰りたいの」
「帰りたきゃア早く帰ったらいいじゃアないか?」
「おッ母さんにそう言ってやった、わ、迎えに来なきゃア死んじまうッて」
「おそろしいこッた。しかしそんなことで、びくつくおッ母さんじゃアあるまい」
「おッ母さんはそりゃアそりゃア可愛がるのよ」
「独《ひと》りでうぬぼれてやアがる。誰がお前のような者を可愛がるもんか? 一体お前は何が出来るのだ?」
「何でも出来る、わ」
「第一、三味線は下手《へた》だし、歌もまずいし、ここから聴いていても、ただきゃアきゃア騒いでるばかりだ」
「ほんとうは、三味線はきらい、踊りが好きだったの」
「じゃア、踊って見るがいい」とは言ったものの、ふと顔を見合わせたら、抱きついてやりたいような気がしたのを、しつッこいと思わせないため、まぎらしに仰向《あおむ》けに倒れ、両手をうしろに組んだまま、その上にあたまをのせ、吉弥が机の上でいたずらをしている横がおを見ると、色は黒いが、鼻柱が高く、目も口も大きい。それに丈《せい》が高いので、役者にしたら、舞台づらがよく利くだろうと思いついた。ちょっと断わっておくが、僕はある脚本――それによって僕の進退を決する――を書くため、材料の整理をしに来ているので、少くとも女優の独りぐらいは、これを演ずる段になれば、必要だと思っていた時だ。
「お前が踊りを好きなら、役者になったらどうだ?」
「あたい、賛成だ、わ。甲州にいた時、朋輩《ほうばい》と一緒に五郎、十郎をやったの」
「さぞこの尻が大きかっただろう、ね」うしろからぶつと、
「よして頂戴よ、お茶を引く、わ」と、僕の手を払った。
「お前が役者になる気なら、僕が十分周旋してやらア」
「どこへ、本郷座? 東京座? 新富座《しんとみざ》?」
「どこでもいいや、ね、それは僕の胸にあるんだ」
「あたい、役者になれば、妹もなりたがるにきまってる。それに、あたいの子――」
「え、お前の子供があるんか?」
「もとの旦那《だんな》に出来た娘なの」
「いくつ?」
「十二」
「意気地《いくじ》なしのお前が子までおッつけられたんだろう?」
「そうじゃアない、わ。青森の人で、手が切れてからも、一年に一度ぐらいは出て来て、子供の食い扶持《ぶち》ぐらいはよこす、わ。――それが面白い子よ。五つ六つの時から踊りが上手《じょうず》なんで、料理屋や待合から借りに来るの。『はい、今晩は』ッて、澄ましてお客さんの座敷へはいって来て、踊りがすむと、『姉さん、御祝儀《ごしゅうぎ》は』ッて催促するの。小癪《こしゃく》な子よ。芝居は好きだから、あたいよく仕込んでやる、わ」
 吉弥はすぐ乗り気になって、いよいよそうと定《き》まれば、知り合いの待合や芸者屋に披露《ひろう》して引き幕を贈ってもらわなければならないとか、披露にまわる衣服《きもの》にこれこれかかるとか、かの女も寝ころびながら、いろいろの注文をならべていたが、僕は、その時になれば、どうとも工面《くめん》してやるがと返事をして、まず二、三日考えさせることにした。

     五

 それからというもの、僕は毎晩のように井筒屋へ飲みに行った。吉弥の顔が見たいのと、例の決心を確かめたいのであったが、当人の決心がまず本統らしく見えると、すぐまた僕はその親の意見を聴きにやらせた。親からは近々《ちかぢか》当地へ来るから、その時よく相談するという返事が来たと、吉弥が話した。僕一個では、また、ある友人の劇場に関係があるのに手紙を出し、こうこういう女があって、こうこうだと、その欠点と長所とを誇張しないつもりで一考を求め、遊びがてら見に来てくれろと言っておいたら、ついでがあったからと言って出て来てくれた。吉弥を一夕友人に紹介したが、もう、その時は僕が深入りし過ぎていて、女優問題を相談するよりも、二人ののろけを見せたように友人に見えたのだろう。僕よりもずッと年若い友人は、来る時にも「田村先生はいますか」というような調子でやって来て、帰った時にはその晩の勘定五円なにがしを払ってあったので、気の毒に思って、僕はすぐその宿を訪うと、まだ帰らないということであった。どこかでまた焼け酒を飲んでいるのだろうと思ったから、その翌朝を待って再び訪
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