については何も言わなかった。
十二、三歳の女の子がそとから帰って来て、
「姉さん、駄賃おくれ」と、火鉢のそばに足を投げ出した。顔の厭に平べッたい、前歯の二、三本欠けた、ちょっと見ても、愛相が尽きる子だ。菊子が青森の人に生んで、妹にしてあると言ったのは、すなわち、これらしい。話しばかりに聴いて想像していたのと違って、僕が最初からこの子を見ていたなら、ひょッとすると、この子を子役または花役者に仕上げてやりたいなどいう望みは起らなかったばかりか、吉弥に対してもまた全く女優問題は出なかったかも知れない。今一人、実の妹を見たかったのであるが、公園芸者になっているから、そこにはいなかった。
「先生がいらッしゃるじゃないか? ちゃんとお坐り」こう菊子が言ったので、子は渋々坐り直した。
「けいちゃん、お前、役者になるかい?」
「あたい、役者なんか厭だア」と、けいちゃんというのがからだを揺すった。
僕は菊子がその子をも女優にならせるという約束をこの通り返り見ないでいても、それを責める勇気はなかった。
二五
「さア、やるから遊んでおいで」と、菊子は二銭銅をほうり出すと、けいちゃんはそれを拾って出て行った。
菊子も僕を置いて二階へあがった。
二階では、――
「さァ、絶体だ」
「出る、出る!」
「助平だ、ねえ――?」
「降りてやらア」
「行けばいいのに――赤だよ」
「そりゃ来た!」
「こん畜生!」
ぺたぺたと花を引く音がしていた。
菊子がまだ国府津にいた時、僕をよろこばせようとして、
「帰ったら、うちの二階が明いてるから、隔日に来て、あすこで、勉強しなさいよ」と言った、その二階がいつもあのざまなのだろう。見す見す堕落の淵《ふち》に落し入れられるのであった。未練がないだけ、僕は今かえって仕合せだと思ったが、また、別なところで、かれらの知らないうちにああいう社会にはいって、ああいう悪風に染《そ》み、ああいう楽しみもして、ああいう耽溺のにおいも嗅いで見たいような気がした。僕は掃《は》き溜《だ》めをあさる痩せ犬のように、鼻さきが鋭敏になって、あくまで耽溺の目的物を追っていたのである。
やがて菊子が下りて来て、
「お父さんはお花に夢中よ」と言う。まだ多少はしおらしいところがあって、ちょッと顔を出せとでも言って来たものらしい。会いたくないと言ったのだろう。僕は、かのうなぎ屋で、おやじが「こんなところでお花でもやれば」と言ったのは、僕をその方へ引き込もうとして、僕の気を引いて見たのだろうと思い出された。
「なァに、どうせ僕は花はしないから――」
お袋はいないし、おやじは僕を避けている。婆アやも狭い台どころへ行って見えない。
一昔も過ぎたかのように思われる国府津のことが一時に僕の胸に込みあがって来て、僕は無言の恨みをただ眼のにらみに集めたらしい。
「あのこわい顔!」菊子は真面目にからだを竦《すく》ませたが、病んでいる目がこちらを見つめて、やにッぽくしょぼついていた。が、僕にもそのしょぼつきが移っておのずから目ばたきをした時、かの女は絳絹《もみ》の切れを出して自分で自分の両眼のやにを拭いた。
お袋がいずれ挨拶に来るというので、僕はそのまま辻車《つじぐるま》を呼んでもらい、革鞄を乗せて、そこを出る時、「少しお小遣いを置いてッて頂戴な」と言うので、僕は一円札があったのを渡した。
「二度と再び来るもんか?」こう、僕の心が胸の中で叫んだ。
僕が荷物を持って帰ったのを見て、妻は褥《とこ》の中からしきりに吉弥の様子を聴きたがったが、僕はこれを説明するのも不愉快であった。
「あのくらいにしてやったんだから、義理にもお袋が一度は来るでしょう――?」
「そうだろうよ」僕はいい加減な返事をした。
「吉弥だッてそうでさア、ね、小遣いを立てかえてあるし、髢《かもじ》だッて、早速髷に結うのにないと言うので、借《か》してあるから、持って来るはずだ、わ」
「目くらになっちゃア来られない、さ」
僕の返事は煮えきらなかったが、妻の熱心は「目くら」の一言に飛び立つようにからだを向き直し、
「えッ! もう、出たの?」と、問い返した。
吉弥の病気はそうひどくないにしても、罰当り、業《ごう》さらしという敵愾心《てきがいしん》は、妻も僕も同じことであった。しかし、向うが黴毒《ばいどく》なら、こちらはヒステリ――僕は、どちらを向いても、自分の耽溺の記念に接しているのだ。どこまで沈んで行くつもりだろう?
「まだ耽溺が足りない」これは、僕の焼けッ腹が叫ぶ声であった。
革鞄をあけて、中の書物や書きかけの原稿などを調べながら、つくづく思うと、この夏中の仕事は――いろんな考えを持って行ったのだが――ただレオナドの紹介ばかりが出来たに過ぎない。それも、今月中の喰い物の一つになってしま
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