だ肩あげも取れないうちに、箱根のある旅館の助平おやじから大金を取って、水あげをさせたということだ。小癪な娘だけにだんだん焼けッ腹になって来るのは当り前だろう。
「あの青木の野郎、今度来たら十分言ってやらにゃア」と、お貞が受けて、「借金が返せないもんだから、うちへ来ないで、こそこそとほかでぬすみ喰いをしゃアがる!」
子供はふたりとも吹き出した。
「吉弥も吉弥だ、あんな奴にくッついておらなくとも、お客さんはどこにでもある。――あんな奴があって、うちの商売の邪魔をするのだ」
そう思うのも実際だ。僕が来てからの様子を見ていても、料理の仕出しと言ってもそうあるようには見えないし、あがるお客はなおさら少い。たよりとしていたのは、吉弥独りのかせぎ高だ。毎日夕がたになると、家族は囲炉裡《いろり》を取りまいて、吉弥の口のかかって来るのを今か今かと待っている。
やがて吉弥はのッそり帰って来た。
「何をぐずぐずしておったんだ? すぐお座敷だよ」お貞はその割り合いに強くは当らなかった。
「そう」吉弥は平気で返事をして、炉のそばに坐って、「いらっしゃい」僕に挨拶をしたが、まるめて持っていた手拭《てぬぐい》としゃぼんとをどこに置こうかとまごついていたが、それを炉のふちへ置いて、
「一本、どうか」と、僕のそばの巻煙草入れに手を出した。
その時、吉弥は僕のうしろに坐っているお君の鋭い目に出くわしたらしい。急に険相な顔になって、「何だい、そのにらみざまは? 蛙《かえる》じゃアあるめいし。手拭をここへ置くのがいけなけりゃア、勝手に自分でどこへでもかけるがいい! いけ好かない小まッちゃくれだ!」
「一体どうしたんだ」と、僕がちょっと吉弥に当って、お君をふり返ると、お君は黙って下を向いた。
「あたいがいるのがいけなけりゃア、いつからでも出すがいい。へん、去年身投げをした芸者のような意気地《いくじ》なしではない。死んだッて、化けて出てやらア。高がお客商売の料理屋だ、今に見るがいい」と、吉弥はしきりに力んでいた。
僕は何にも知らない風で、かの女の口をつぐませると、それまでわくわくしていたお貞が口を出し、
「まア、えい。まア、えい。――子供同士の喧嘩《けんか》です、先生、どうぞ悪《あ》しからず。――さア、吉弥、支度《したく》、支度」
「厭だが、行ってやろうか」と、吉弥はしぶしぶ立って、大きな姿見のある
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