であつた樣なものだ。それから、最も樂しい青春と詩歌との時期に分るのは、それが眞理であるだらうと云ふこと、それが閃光と斷片とに於て眞理であることだ。それから、その面色が嚴格になり、莊大になつて、分るのはそれが眞理でなければならないことだ。』かうなれば、僕等の眞理は論理的となり、實際の行爲に現はれて來る樣になる譯である。
 エメルソンは、思想の圓熟して來てから、『報酬論』を書いた。渠は米國に生れただけあつて、僕等に染み込んで居る武士道の立ち塲から見れば、一種厭な感じのする根性があると云へば云はれるが、この論を讀んで見ると、また、渠獨得の想が顯はれて居る。一口に云へば、宇宙は大海の樣なもので若し少しでも善惡いづれかの空處があれば、直きにそこへ應報なるものが流れて行つて、もとの通りに平均さしてしまうといふ説[#「宇宙は大海の樣なもので」〜「平均さしてしまうといふ説」に傍点]である。その論中に僕等の心靈は、制限を受けないから、樂天觀を入れて、厭世觀を忌むものだと云つてある。エメルソンの思想が穩健で、着實であるところへ、唯心論といふ渠に取つては便利な形式を利用して、何でも分らないことはないと云ふ意氣込みであるので、自然と渠の天下が天平になつて、青年は悲嘆してはならない、すべからく太陽の樣に麗はしくなれと云ふに至つたのは、當前なのであらう。
 然し、渠は初めからそう云ふわけではなかつた[#「然し、渠は初めからそう云ふわけではなかつた」に傍点]。その實際の經驗から、烈しくなつて來た悲觀の反動が、一方の極端まで樂觀に進んだのである[#「その實際の經驗から」〜「進んだのである」に白丸傍点]。一たび世間の眞相に觸れたことのある人々には、必ず僕の云つて居ることが實際であるのだ。メーテルリンクも『星』といふ文中に云つてある通り、『世紀毎に別な悲愁を抱きしめるのは、世紀毎に別な運命を曉るからである。』僕等が最も深い悲愁に沈んで居る時ぐらゐ、自我の發揮して居ることはない[#「僕等が最も深い悲愁に」〜「居ることはない」に傍点]。抱月氏の所謂『赤い火』に對して、『青い火』が最も盛んに燃えて居る時である。僕等が悲愁の偉大になるに從つて、自覺の力が振つて來て、僕等の自我が擴張する。これ、我を物外に解放する時であつて、心靈その物の生命がこの時急流となる。エメルソンに據つて云つて見れば、『人生の最も善い刹那は、高等の心力が愉快に目覺めて來る時で、この時には、自然は尊敬を以つて神前を引き退いてしまう。』かう云ふ刹那を觀ずると、悲愁のうちにも快感を覺えるのである[#「かう云ふ刹那を」〜「覺えるのである」に傍点]。この快感の方面から、若し樂觀が出來るとすれば、それは悲的樂觀[#「悲的樂觀」に白三角傍点]とでも稱すべきものであらう。僕の考へでは、有限の人間には、悲愁は運命の樣に心底に横たはつて居るので、その上を樂觀するのは、或形式を以つて來て蓋をしたと同前[#「僕の考へでは」〜「蓋をしたと同前」に白丸傍点]で――エメルソンの樣な人は意志が強くて、自分の肺病を自分で直した位であるから、たゞ無理にでも、外形ばかりは、純粹の樂天觀を以つて押し通したのであらう。
 エメルソンが煩悶をした跡は、どの論文を見ても分る[#「エメルソンが煩悶をした跡は、どの論文を見ても分る」に白三角傍点]――特に『代表的人物』で分る。プラトーンがその當時の東洋の冥想と西洋の實際的思想とを結合して、かの幽妙な獨創説――世界はイデヤ(ι´δεα)の權化であつて、之を想ひ起すに從つて、われ等は實體に歸して行くのであるといふ説――を建てたのに感服したが、如何にもその獨斷であつて、その學説の不完全、非自證的な點が分るに至つて、モンテーンの樣な懷疑家に走つた。
 人間は、分らなくなると、萬事が不可解となる、否、解かうとすることがもう疑はしくなるものである。萬事を疑ふなら、いツそモンテーンの樣に、思ひ切つて疑ふが善い[#「萬事を疑ふなら」〜「疑ふが善い」に傍点]。――渠は最も正直な作者であると、エメルソンは云つてある。然し、同情がなくては人生の神秘は分りツこがない、手中の一世界は叢中の二世界よりも價値がある。前に引用してある通り、どうせ、地獄の下にはまた地獄がある,どんな學説でも、また倒れる時があるに定つて居るが、すべては久遠圓滿の大原因中に含まれて居るのだ――『たとへわが舟は沈んでも、それはまた別な海へ行くのである[#「たとへわが舟は沈んでも、それはまた別な海へ行くのである」に傍点]。』と悟つてから、またシエキスピヤやゲーテの樣な文藝的慰籍者に走つた。
 それから、また、『人は皆神秘家である』と云つて、スヰデンボルグに走り,また、ナポレオンを罵倒しながらも、その大膽であるのとその明確な頭腦とを揚言して、『何でも想像に訴へて、普通人力の限界を超絶するものは、不思議な程にわれ等を奬勵し、また自由にして呉れる[#「何でも想像に訴へて」〜「また自由にして呉れる」に傍点]』と云つた。エメルソンの樣に自由な、規模の大きい頭腦では、政治家になりたかつたらう、軍人にもなりたかつたらう、釋迦や耶蘇の樣な實行家にもなりたかつたらう。然し、渠の性質が許さなかつた。詩人的要素を持つて居ながらも、プラトーンと同樣、それにもなれなかつた――渠には詩作はあつたところでだ。渠は非常な思索家であつた。非常なだけに、眞の意味での詩を作る餘裕が無かつた[#「渠は非常な思索家であつた」〜「餘裕が無かつた」に白丸傍点]のだ。まして、その意氣込みはあつても、實世間に觸れる宗教家や、政治家や、軍人などになれやう筈がない。然し、哲學者としても、系統は立つて居らないのである。たゞ探求的、暗示的精神の非常に活動して居るところは、普通の詩人や俗務家の熱心どころ[#「たゞ探求的」〜「俗務家の熱心どころ」に傍点]ではない。カライルの『過去と現在』が英國で出版されると、エメルソンは直ぐ有益な著書だと云つて、之を米國で飜刻させたのは、天才が天才を知るのが早かつたのである。この事件があつてから、十九世紀の二大思索家が、大西洋を挾んで、プラトニツクラブに沈んだのはなか/\面白い事ではないか。
 エメルソンが超絶哲學を唱道して、同志と共に雜誌『日時計』を發行したり、また諸方を遊歴して、自分の哲學を講演したりした時代のことを思ふと、丁度、ロセチ等のピーアールビー[#底本では「ヒーアールビー」と誤記。入力者注(7)]の運動の樣であつた。ロセチは畫家と詩人との間を彷徨した人で、エメルソンは詩人と哲學者との間に隱見した人だ[#「ロセチは」〜「隱見した人だ」に傍点]。前者は、古典派の文藝があまり形式に流れて來たので、その目的が眞率でなくなつたのを憤慨して、奔放派の特色を發揮したのだが,後者は、また、科學萬能主義の傾向が哲學界にも這入つて來たので、その研究の方法が非常に眞生命に遠ざかつて行くのを遺憾に思つて、超絶哲學なるものを叫び初めたのである。哲學と云ふ以上は、矢張り知力を以つて從事する探究家の態度ではあるが、そのうちからメーテルリンクの樣な詩人が、文藝上の神秘的思想を拔き取つただけの内容があるのは、僕が今までに云つたことで分るだらうと思ふ。エメルソンは長生きした方だが、年取つてから自分の家の火事に會つて、急に驚いたせいか、記憶力がまるでなくなつてしまつて、詩人ロングフエローが死んだ時など、葬式の塲で、親友の死に顏を見ても、『これは親しい友人だが、その名を思ひ出すことが出來ない』と云ふ程になつてしまつた。
 僕は、十二三年以前に、二年間程、エメルソンを聖書の樣にして讀んだことがある。そうなつたには、少し譯があるのだ。それよりもまだ以前のことで、丁度、憲法發布の時期が近づいて來た頃であつた、僕は政治上にも小供の時からの野心があつたので、そう云ふ方面の書物をも讀んだ。その頃、綾井某――後に代議士にもなつた人――が開かせて居た大きな貸本屋が京橋にあつて、その店の英書目録を見ると、『ザ、レプレゼンタチブ、メン』といふのがあつた。これがエメルソンの『代表的人物』とは夢にも知らなかつたので、代議士論だと思つて、それを借りて來て讀んで見ると、ごつ/\した文で、六ケしくツて、一向分らなかつた。それで返してしまつたが、暫く經《た》つてから、當時の高等中學校に居た友人が來て、お前の書く文章は教科書中にあるエメルソンの文に似て居るぞと云つたので、先に貸本屋から借りた書の作者が確かエメルソンとあつたと思ひ出して、それからエメルソンを讀み出したのである。一日掛つて、たツた一節位が關の山――その苦心の度は、今日、僕が教へたりする學生の樂な勉強とは違つて居た。
 その頃から、僕の思想上に大變化が起つた[#「その頃から、僕の思想上に大變化が起つた」に傍点]――尤もこれは、エメルソンを讀むのは危嶮だといふ宗教家輩から云へば、渠の影響が覿面《てきめん》[#入力者注(5)]に來たのだと嘲るだらうが――早くからたゝき込まれて居た、耶蘇教の神が分らなくなつて、之を棄てゝしまつたし、また自分の愛して居た少女が理想のものでなかつたり、一親友が急に死んだりしたので、精神は非常に錯亂して來た。それに、家の關係上、文學に少しでも手を出すなら、學校生活は續けられなかつたので、某校で理財科を終つてから、政治科をやらうと思つたのを斷念して、仙臺へ行つた。政治家になりたいなどいふ考へは微塵もなくなつて、それからといふものは、專ら詩的修養をするのが自分の生命になつた[#「それからといふものは、專ら詩的修養をするのが自分の生命になつた」に傍点]が、その時は毎週の自修科目を時間に割り當てゝ、萬葉集と詩經とシエキスピヤとミルトンと獨逸語と希臘語と梵語とを研究した。梵語研究などは、金がなくツて、道具が揃へられないので直《ぢ》き中止をしたが、その間にでも、エメルソンは最も面白いので、毎日一回づゝ出て來た科目はこればかりであつた。
 そこで、當時、エメルソンを樂天家だとは知らなかつたのである[#「そこで」〜「知らなかつたのである」に白丸傍点]。たゞ字引と首引きで讀んで行くうちに、無性に自分の精神が引き立つて來て、もう、絶望と死の苦みとを感得したと思つて居る自分に取つては、句々節々があらたの悲愁を養つて呉れるやうで、それがたゞ愉快であつたのだ。二年程|經《た》つうちに、エメルソンの形式的方面が厭になつたので、斷然棄てゝしまつたが、その同情的精神の沈痛なのには、當時、自分の頭腦と胸奧とはかき亂されて、また整へられて居たのだ[#「二年程」〜「また整へられて居たのだ」に傍点]。或時など、廣瀬川といふ川のほとりに坐わつて、エメルソンを讀んだが、秋の日はもう沈んだあとで、閑寂のうちに川水の響が何となく奧ゆかしく聽え、ゆふぐれの景色は惻々われに迫つて來た。これは丁度僕がエメルソンの暗示に接する時の樣で、手にした全集のおもては、薄暗い空を飛びかふ夜の羽がひと一緒になつてしまつた樣であつた。そこへ二つ三つ飛んで來たものがあつた。驚いて見まはすと、向ふ岸から小供が二三人、僕を目がけて、狸だ/\と呼んで、石を投げるのであつた。――エメルソンはつひに、僕を、狸と呼ばれる程に、幽暗なところへつれ込んだのであつた[#「エメルソンはつひに」〜「つれ込んだのであつた」に傍点]。
 渠を讀んで利益のあるのは、僕等の思想を獨立さして呉れるし、僕等に獨創の見地を發見さして呉れるからである。厭世とか樂天とかいふことは、かれこれ云ふまでもない。その文體[#「その文體」に白三角傍点]をたとへて云へば、一條の流れが涓々《けんけん》[#入力者注(5)]として走り來つて、灣曲また灣曲、渦を卷いてみどりの淵になると、堤上に生へて居る灌木の影を浸して、その深い穩かな水面がまゝ破れて、大きな魚の躍如として跳ね飛ぶことがあるのに似て居る。乾燥無味、内容のない樂天家には、到底エメルソンは分らないのである[#「乾燥無味」〜「分らないのである」に白丸傍点]。僕等の心裡に起つて來る各事件を貫いて居る悲愁を、自分が深
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