い範圍の智識で安眠を貪らうとするのである。渠等に深遠な神秘を説いたところで、到底之を味へるものではない。無目的な事物を善といふ方便に使つて、それで滿足して居るに過ぎない[#「無目的な事物」〜「居るに過ぎない」に白丸傍点]。スヰデンボルグの熱烈な科學的研究が、つひに頑迷な宗教家を生み出すに至つたのは、從來の習慣的宗教並に哲學の到底度すべからざるを證明して居るのである。
 莊子の『齊物論』には、『言いまだ始めより常なるにあらず』と云つてあつて、常なるものがあれば、常ならざるものが豫想出來るし、物に始めがあれば、その始めあるの始めがなければならない譯である。無限なるものに目的のあらう筈はない[#「無限なるものに目的のあらう筈はない」に白三角傍点]、况んや向上とか墮落とかいふのは、却つて造化を揣摩《しま》[#入力者注(5)]し過ぎた話である。老莊の徒でさへ、尚《なほ》道なる物を絶對として、物外に存ぜしめたが、絶對とは終極又は原始の意で、それが到達又は規定せらるべきものであるなら、もう世界は滅亡したと同じで、そんな死物同前なものに住する必要がなくならう[#「絶對とは」〜「必要がなくならう」に傍点
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