とを相對せしむると、また同じ形が出來る。一物を分析しても陰陽はあるし、具體的物象を見てもまたこの關係がある。推移、進動、行爲などに於ても、この法則は流行して居るのである。ピタゴラスの哲學が數を以つて宇宙の萬有を説明しようとした通り、易にもこの數の觀念がつき纒つて居るので、僕から見れば、この數は乃ち僕等の免るべからざる運命の樣なものと見て善い[#「僕から見れば」〜「見て善い」に白丸傍点]。
 この運命の上に隱現する萬有はどう云ふ風に解釋が出來るか――莊子は『道いまだ始めより對あるにあらず』云々と云つて、甲と云へば必ずその甲に非ざるものを豫想して居るので、エメルソンが自然を論ずるのに、我と非我とを別けた方便の樣なものである。邵子《せうし》[#入力者注(5)][#入力者注(12)]に至つて、面白い言を云つた、『自然の外、別に天なし。』――邵子は易を祖述して、一派の哲理を考へ出した人で、人物もなか/\面白い,天津橋上で杜鵑《ほととぎす》[#入力者注(5)]の聲を聽いて、王安石新法の事變を豫言したことがある。今、假りに邵子の言を以つて問題を起し、僕の考へを解釋して行かう。『自然の外、別に天なし』
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