あこがれるのは普通の戀、然し最高のは眞善美その物を慕ふ知力的究理心である。所謂プラトーンの愛[#「所謂プラトーンの愛」に白丸傍点]。渠の知力なるものは、輪廻的修養の土臺となつて居るだけ、道徳的に見られるから、そういふ説も立つのであらう。
 スヰデンボルグはこの説を自分の天才に消化して、『コンジユガルラブ[#「コンジユガルラブ」に白三角傍点]』(夫婦の愛[#「夫婦の愛」に白三角傍点])を書いた。プラトーンの『宴會篇』に當るものだ。心靈は向上的であるから、その發表する愛情又は友情は自然と刹那的のものである[#「心靈は」〜「刹那的のものである」に白丸傍点]。――この刹那的といふことは僕の説にも大切なものだが――愛するといふは同一の眞理を見て居るといふこと[#「愛するといふは同一の眞理を見て居るといふこと」に傍点]で、兩者の一方が一段うへの眞理に目を轉ずると、そのまた一方との關係は絶えてしまうことになる。それで、前者は自分の新たに見る眞理と同一のを見て居るものと一つになるのだが、それも亦向ふの方が一段高くなると、棄てられてしまうのである。人の性根は一定不動のものではない、心の状態に從つて、男と
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