折角自由自在な表象の範圍を、ベーメと同樣、無殘にも、教會といふ形式の用具にしてしまつたのである[#「その熱心の極度は」〜「用具にしてしまつたのである」に傍点]。人物から云へば、その首を銀河に洗ひ、その足は固く地獄の床を踏んで居た大人物だが、惜しいかな、在來の宗教が仇となつて、古木の朽ちた樣に倒れてしまつたのである[#「人物から云へば」〜「倒れてしまつたのである」に白丸傍点]。
今日歐洲でのスヰデンボルグ派の景况は知らないから云はない。米國では、ボストンなどにこの派の出版會社があつて、頻りに渠の大小の册子を出版するが、一向に振はない樣だ。日本にも横濱へ一度この派の教師が來て居たことがある。近頃米國から十年目に歸朝した友人の經驗談を云ふが、西部からボストンへ行つた時、紹介状を貰つて居たので、一人の牧師を訪問した。すると、『新教會』と看板が出て居たので、少し不思議に思つて這入つて見ると、それがスヰデンボルグ派の教會であつた。この友人は、僕がエメルソンを讀んで居た頃から、スヰデンボルグの事は知つて居たので、面白半分にその老牧師の話を聽いて居ると、例の『物に二方面がある』と開祖が云つたと云ひ出
前へ
次へ
全161ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岩野 泡鳴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング