る人の事情を知りたいとか、その人を呼び寄せたいとか思ふと、手に持つて居るペンがおのづから動き出して、それだけの働きをする。而も間違へることはないのである。これは、いつか、氏の雜誌で氏が詳しく書いたことがあるし、また※[#「※」は「姉」の本字、336−36]崎博士は大學で之を説明して居られるさうだ。
ステツドのスピリチユアリズムはどんなに明確な説明が出來るか知らないが、スヰデンボルグの樣な神秘的能力を以つて居た者が、あまり結論を急いだ爲めに、自然の事物を直接に神學的意義を有して居るものゝ樣に斷定してしまつた[#「スヰデンボルグの樣な」〜「斷定してしまつた」に傍点]。『動物界』では、動物體ばかりでない、すべての自然を經て、物質界は心靈界の表象であることを教へ,『天の秘密』と『示されたる天啓』では、心靈の世界、天使の天などで見て來た事を示めしてある。殊に最後の書の如きは、『ユダの支派《わかれ》より出でたる獅子』ばかり解釋が出來るとしてある『默示録』――耶蘇教の神學者が絶望してしまう書――を解釋して、嶄新な意義を附してある。然し、嶄新だといつても、すべてその『天と地獄』の樣に、僕等から見れば、久遠の生命に入る準備ともいふべきことを、宗教の實行觀にあてはめたばかりで、たゞ平凡な宗教家の説明と違つて、スヰデンボルグ獨得の思想が固定してしまつたのに過ぎない。
渠の教義[#「渠の教義」に白三角傍点]に從へば、すべて物には物質的、心靈的の二方面がある,して、前者は後者の表象に過ぎない。この見解が非常に固定した形式を取つてしまつたのである。『新ジエルサレム、生命の教義』を見て分る,聖書の『エジプトは人にして神にあらず、その馬は肉にして靈にあらず』(以賽亞書[#入力者注(10)]三十一ノ三)とあるを解釋して、『エジプト』は人間の智慧から出た科學、『馬』はその肉的理解力の表象として、神がこの世に現はした物。――『人若しわれに居り、われ亦かれに居らば、多くの實を結ぶべし』(約翰傳[#入力者注(11)]十五ノ五)とあれば、その『實』とは、善を示めす爲めに、木に出來る物。――また、『木』は人、その『葉と花』は眞理の信仰を意味して居るし、美しい娼婦は乃ち虚僞のことを、ジエルサレムは教會を、アツシリヤは理性を、カルデヤは眞理の妄用を、バビロンは妄用された善を云ふのだ。表象主義もかう極端に狹くなつ
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